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モテたいためにビジネスを始めて、お金よりも大切なことに気づいた21歳の物語

生い立ち

家庭環境

僕の生い立ちを説明する前に、まずどんな家庭環境で育ったのかを説明しよう。

僕は愛知県の田舎に生まれたごく普通の男である。
というのは、親がめちゃくちゃ金持ちというわけでもなく、普通であった。
父が、ごく普通の会社員、母はパート主婦。

よくある普通のありきたりな家庭である。

父はとても真面目で、一つ一つのことに関して細かい性格であり、対して母は父とは逆で大雑把でポジティブである。

そんな家庭環境の中で僕は育てられたのである。

味噌カツの地に生まれる

僕は愛知県で生まれて、それから2年経ちすぐに名古屋市に引っ越した。そう、僕は名古屋市出身ではないのだ。
神奈川県民でいう、横浜市民は横浜出身と言うのと同じように、僕は今も現在愛知県出身とは言わずに、すぐ引っ越したからまぁいっかというわけで、名古屋市出身と言っている。(これはここだけの秘密です。)

6歳、初めての小学校お受験

結果滑る。

塾に通っていたが、なんのためにやっているのかいまいちよくわかっておらずそのまま受験したため、そもそも受験ということすらよくわかっていない状態であった。
もっと言えば、受験に落ちたと言う認識すらなかったのである。

そのまま地元の小学校に入り、この頃から勉強や運動で負けたくないという意識が芽生え始め、気づけば負けず嫌いの性格になっていて、周りから認められたいという承認欲求がすごかった。

僕は普通のどこにでもいる普通の小学生で、小学5年生まで普通に過ごしていたが、当時とても仲良くしていた友達が中学受験することを知り、負けたくないという気持ちでいっぱいになって勝手にライバル視する事になった。
だから、小学校5年生で中学校受験をすることを決意した。

大体、中学校受験する人というのは小学校4年生から本格的にやり始めるのだが、僕は小学校5年生からスタートしたためかなり遅れをとっていたため、もう他の人よりも圧倒的なスピードで成績を伸ばすしかなかった。
朝起きて、歴史と理科の暗記科目の勉強、夜は算数と国語の勉強をやっていて、一日8時間は普通であった。
でも、僕は

「絶対にここの中学校に行くんだ!」という強い思いを抱きながら勉強をしていた。

12歳、中学受験をするものの滑る。

人生において初めて大勝負に負けてしまったという気持ちでいっぱいで友達にも会いたくないくらい落ち込んでいた。
母親にすごく慰めてもらったし、小学校に行っても全然楽しくない。
ライバル視していた子は県内屈指の私立中学に入学。
僕の結果発表が先だったので落ちた時は内心、「落ちて、地元の一緒の中学に行ければいいなぁ」なんて酷いことを思っていた。
共に頑張ってきた親友であり、受験仲間。
そんな友達に対しても人間、自分自身が本当に不幸になると、相手も不幸になってしまえと思っていた。

「勉強もできなければ、心も汚れた人間なのか」と僕はすごく惨めな思いをした。

そのまま地元の中学校に進学したのだったが、そこでは学校生活を送る上であってはならないものであるいじめにあってしまう。

いじめの内容は無視、暴力、物が無くなってしまっているといったことでなどであり、特に暴力に関しては一番辛いもので、例えるならば「人間サンドバッグ」であった。
トイレに行くことさえすごく怖くて、「殴られたらどうしよう、殴られたらどうしよう。」とビクビクしながらトイレをすぐに済ませていた。

本当に怖かった。

当時は身長が高くて細いというゴボウのような弱々しい見た目で身長の大きいやつが普通くらいの身長のやつにボコボコにされる。

惨めだった。

学校のジャイアンのような存在にいじめられていて、周りはそれを知っていた。
でも、何かそいつに注意したり反抗したりすると自分がやられるという恐怖から友達は僕のことを助けてはくれなかった。
ボコボコにされているところを見て見ぬ振りをする友達。

本当に親に心配させたくないから言うことができなかったから、僕は一切このことを口にすることをなかった。

今でも両親にはこの事実を告げたことは一切ない。

でも、あの経験があったからこそ人に対して優しく接することができるようになったと思っていて、自分にとって非常に重要な経験であり、経験して良かったなと今では思っている。

15歳、高校受験するものの第一志望校に受からず

偏差値でいうと65程の高校に入り1年生の最初のテストで総合学年1位を獲得。
最初のテストであったということもあり、学年中に誰が学年1位取ったのかというのがすぐ広まったため、周りから「お前が学年1番か!」と言われる様になる。
やっぱ一番は一番だから嬉しく浮かれてしまう。

そんな中、1年生の時に一目惚れを経験し、それをきっかけに勉強どころではなくなり、クラスでドベ2という成績をとってしまった。
今までは、テストの点数が良かったため、友達に

 

「お前何点だった??」と聞かれて
「◯◯点だった!!」と誇らしげにいうことができたが、

 

もう、点数をいうのが恥ずかしくて恥ずかしくてしょうがなかった。
大転落中の大転落であるためその噂も一気に広まり、もちろん友達は「落ちぶれたなぁ〜」とバカにしてきたが、それは事実であるため何も言い返すこともできずとても悔しい思いをした。

僕は高校生の時、部活動をしていなかった。いや、していた。帰宅部である。
授業が終われば「サッ!」と家に帰るのが帰宅部である。
何も功績を称えられることのない帰宅部。正直いうとダサいと思われることの方が多いだろう。

僕の高校は部活動が盛んな学校で、様々な部活がインターハイに出場していたため、彼らは学校のヒーローになるが僕は帰宅部であり、唯一の取り柄であった勉強もできなくなってしまっていたため取り柄がなかった。

 

慶應義塾大学に行きたいという大きな野望を抱いた大学受験勉強

17歳、初めての大学見学

僕は大学見学で、名古屋から東京へわざわざ慶應義塾大学へ見学しにいった。

なぜ、慶應大学を見学しにいったのかと言うと単純で国内私立トップであり、ここに通う人達はどのような人であるのかと言うのを肌で感じたかった。

実際、見学しにいった時に僕はびっくりした事を今でも覚えている。
みんなとても歩いているだけなのに堂々として見えて、とても自分に自信が溢れているように見えた。
国内トップの大学というバイアスがかかっているかもしれないが、僕はそんな姿を見て素直に

 

「かっこいい、俺もこんな風になりたい!」と思っていたのである。

 

またその時にインターネットでモテる大学というのも調べていて、慶應大学は女子からめちゃめちゃモテるという記事がどのサイトを見ても書いてあった。
モテる=魅力がある=好きになってもらえる」ということに繋がるので、僕はその時にふとこんな事を思った。

 

 

 

「ここの大学に行けば、好きだった女の子に振り向いてもらえるんじゃねーの?」

 

 

 

なぜそう思ったのかのは2つの理由があった。
まず、1つ目は国内私立トップの大学に通っているというステータスを手に入れることにより、女の子は自慢することができて、自分の彼氏が慶應大学に行っているなんて名古屋の女の子が言ったらそれはもう「すごい!!!!!!!」となるからだ。
2つ目は、そこの大学に行くことによって高いレベルの環境の中で自分が磨かれ、より魅力的な男になれると思ったからである。

そんな単純な考えではあったが、こんな風になりたいという強い憧れを持ちそこから怒涛の勢いで勉強に励むことになった。

しかし、成績が届くことはなかった。

18歳、最低限ここのレベルの大学には行きたいというところに合格

そう、ここで初めて受験勉強が成功したのだ。

今までは滑り止め程度の学校しか受かったことがなかったのだが、第一志望とはいかなかったものの、最低限このレベルの大学には行きたいよねという大学に受かったのである。

そう、好きな女の子に振り向いてもらうために勉強を頑張った甲斐があったのだ!!!

親の次に報告したかったのは僕がずっと好きだった子である。
だから、堂々と合格を報告した。

 

「俺、〇〇大学受かったんだ!!」

 

本当はその時ついでにまた告白でもしようかと思ったが、僕はそんなことする勇気を持つことができず、告白できなかった。

でも、その子から、

 

「すごいね!!本当に頑張ったんだね!!」

 

僕は本当にとてつもない達成感・充実感で心が満たされていて、「これはいける!」と思い、後日告白しようとしたが、ここで衝撃的な事実を知ることになる

なんと、その子に彼氏ができていたことが発覚していたのだ。

せっかく勉強で結果を出して、「さぁ!!告白するぞ!!」という気持ちでいたのにも関わらず、2度目の告白をすることができず、なんと高校生活を終えてしまったのである。

なんというオチ!!

がっくりと肩を落として、学校の帰り道に河川敷で独りで座っていたのを今でも覚えている。

そこから、僕は気持ちを切り替えついに夢に見た上京をするのである。

なぜ僕が東京の大学に進学したのかというと、単純に東京=かっこいいというイメージがあったからだ。地方の人間は東京に憧れていて、僕もそのうちの一人だった。東京には人やモノといったものがたくさんあり、「東京にいくと何か変わるかもしれない」という思いをずっと抱いていたため、東京の大学に進学したのである。

そんな思いで東京の大学へ進学することになったのだ。

 

貧困、格差で途方にくれた18歳の大学1年生

貧困の世界の入り口についに立つ

大学生になり初めて一人暮らしをする事になり大きく自分の生活の環境が変わったため、新しい環境にいることがとても刺激的で楽しかった。
だから、「何か新しいことはないかな、何かないかな。」と常にアンテナを張っていたのを今でも覚えている。

僕は趣味という趣味が全くなかったので、「新しい趣味を作ろう!」と思い、あるとき自転車に乗るという趣味に出会う。

そう、ロードバイクである。

なぜロードバイクに興味を持ったのかというと、叔父がトライアスロンをしていてロードバイクを持っていて、
友達からサイクリングに誘われので叔父のを自転車を借りて遠出したら楽しかったからである。

初めて走った距離、100キロ!!

誘ってくれた友達は経験者であり、僕は乗ったこともない初心者だったため行く前は憂鬱でしょうがなかったし、半んくらいは行きたくなかった。
でも、実際に走ってその距離を走り終えたら、とてつもない達成感で心が満たされた。

 

「気持ちがいい!!」

 

そこからロードバイクにはまっていったのである。

ロードバイクというものは高いもので100万を超えている。僕はその時に貯金していたお金全てを使い果たしてロードバイクを買ったのである。その値段60万
金持ち大学生でもないのに、しかも一人暮らしであり経済的な余裕があるわけでもないのに僕はそんな高価な自転車を買ってしまった。
人生で初めての高い買い物であり、現金一括で支払う予定であったため、お店に行くまでにビクビクしながら「誰かに盗まれるのではないか」とか「落としたらどうしよう」だとかビクビクしていたことを今でも鮮明に覚えている。

サバイバル生活が始まる

その時に、バイトなどもしていなかったため収入源が仕送りしかなかった。しかも、金持ちでもなかったため親からお小遣いをもらえるなんてことはなかった。だから、友達と遊ぶお金すらなくて飲み会に参加することはなかった。

「食事や、友達との飲み代!削れるもんは削ってやるぜ!!」というわけで、たくさん削った。その時に僕は思った。

 

「なんで僕はこんなに高い自転車を買ってしまったのだろう。」

 

時には、パスタに塩をふりかけて食べることもあった。

選手になるわけでもなくただ、趣味でやるだけであるにも関わらず、大学生という身分でしかも趣味という領域であるのに、高額な自転車を買ってしまったことに後悔していた。
あの時は自分が欲しいと思った自転車にしか目がなくてその先のことはほとんど考えていなかった。

「まぁいっか、なんとかなるわ。アルバイトすればいいし」って思っていたのだ。

だから、アルバイトをしなければならないというわけで、たくさん申し込んだ。
そんな思いでアルバイトに申し込むも、なんと5回連続で落ちる

1回目、おしゃれなイタリアンの飲食店に応募した。理由は腰に巻いた黒いサロンのようなのがかっこいいという理由である。
あれを巻けばモテるのではないのかと思い応募したが、不採用。

1週間以内に、合否の連絡をしますと言われたのを今でも覚えている。
つまり不合格でも連絡をするのである。
1週間待っても連絡が来ることがなかった。
僕はドキドキしながらこちらから電話をした。

 

 

 

「不採用です。申し訳ございません。」と言われてしまった。

 

 

 

僕は「おい!コラ!!不採用であってもこちらから電話する言ってたやん!!」と思ったが、そんなこと言えるはずがない。

2回目、2回目はカフェに応募したのである。もちろん理由は「なんかモテそう!」理由はそれだけあり、面接に行った時に働いていた店員さんに可愛い人がいたので、鼻の下を伸ばしていた。
しかし、結果不採用となってしまったためその女の子と仲良くなるぞ!という夢は崩れ去る。

3回目、今度は映画館に申し込む。
そう、映画館で働いている女の子は映画が好きそうだから共通の趣味を通じて仲良くなれるのではないのかと思ったからだ。
さらには、映画館で働いているスタッフはタダで映画も観れるようなので映画デートもできると思ったから応募したのである。
しかし結果不採用となり、映画デートの夢崩れ去る。

4回目、アパレルに申し込んだ。
さすがにもう女の子どうのこうのじゃなくて、採用してくれるところがいいと思ったので、アルバイト募集ページには大量採用と書かれていたのを探しすぐに応募した。
しかし、結果また不採用であったのである。
この頃から、「あれっ?俺って社会不適合者?」と疑問を持ち始めた。

5回目、やはり女の子のことが頭から離れずまた飲食店に応募した。
女の子がたくさん働いていて、可愛い子もそこそこいるという噂であったから応募したのだ。
しかし、なんとそこの店長がとても怖い人で、面接だけで圧倒されてしまったためコミュ障を発揮してしまうことになった。

「あっ・・・。その・・・。」と萎縮してしまい、上手く話すことができなかった。

もちろんそんな奴が受かるわけがない。
結果不採用だったのである。

さすがにびっくりした。
この時、4回連続でアルバイトに落ちた時は「自分は社会不適合者なのではないのか。」と思っていたのがほぼ確信に変わってしまった
僕の周りで5回も連続でアルバイトの面接に落ちたことのある人はいなかったからだ。
本来であれば、友達に「俺アルバイトの面接で5回も連続で落とされたんだけど、何がいけないのかな?」と聞きたいところではあったが、

しかし、6回目にしてついに!ついに!受かったである!!!

新しくオープンする飲食店だったため大量募集と募集ページに記載されていて、そこに応募したら受かったのである!

6度目の正直!!!!!!

大学のヒエラルキーを感じる

半年も経つと、大学生活にも慣れてきて大学のいろんな事情を知るようになる。

それは大学のヒエラルキー。

僕の大学では、サッカーのサークルが大学のヒエラルキーのトップに君臨していて、そこにいる女の子は正直めちゃくちゃ可愛い。

僕はなぜ、ウェイ系のサークルに所属することができなかったのかというと、お酒が苦手だからだ。
だいたい、ヒエラルキーのトップに君臨しているサークルはお酒をガンガン飲むサークルであり、そういったところは、コールだったりゲームが盛んに行われる。

お酒が苦手である僕は当然それについていくことができないから、「俺も俺も・・・、お酒が飲むことができれば・・・!!」となんて思っていた。

しかし、僕は自転車サークル。決してヒエラルキーのトップとは言えないし、女の子も全然いない。
いつもそのサッカーサークルの溜まり場を見ると男女ともにすごく楽しそうにしていた。
それを見て

 

「ええなぁ…。ええなぁ…。」

 

と指をくわえながら羨ましく思っていて、そんなわけで僕は大学生活において女子とはほぼ無縁な生活を送ることになってしまう。

大学1年生で女の子と二人で遊びにいった回数わずか2回!!
僕の大学は理系の大学でもなく、女の子がそこそこいる大学である。
お前本当に大学生かよ!」とつっこみたくなるくらいだ。

女の子とそこから交流することがなくなりついには苦手意識を持つようになり始めた。

「あれ?なんて話しかければいいんだっけ?」
「やべっ!話しかけられた!どうしよう・・・。」

もうこのレベルであった。
さらには、大学生にもなると苗字で呼ばずに名前やちゃんづけで呼ぶようになるが、僕は恥ずかしがって、苗字にさんづけしか呼ぶことができなかった。

その頃から、コンプレックスを抱くようになり始めた。

だから、女の子がたくさんいるサークルは女の子への免疫も当然つくし、本当に可愛い女子がたくさんいて女の子に困ることのないサッカーサークルは羨ましくてしょうがなかったのである。

 

チクショー!!こいつらめちゃめちゃ大学生活エンジョイしてなんなんだよ!!

 

そう思っていた。

ついには母親に
「モテる息子が欲しかった。」
と冗談半分ではあるとは思うが、そう言われてしまったのだ。


↑(これがそのトーク履歴である。とりあえずモテてますと言っておいて笑いにもっていった。)

じゃあ、自分はどうすれば女にモテるようになるのかと言うことをすごく考え始めるようになった。

そんなある時、中学の頃にとても仲良くしていた女友達と久しぶりに会うことになり久しぶりに会うというわけでウキウキワクワクしていたのだ。
正直な事を言うと、その女の子のことを僕はまんざらでもないと思っていたため、このまま発展しないかな〜と妄想を膨らませていたのである。
しかし、そんな時僕は稲妻が頭に落ちたかのような衝撃的な事を言われたのである。

 

 

 

「将来お金をたくさん稼ぐようになったら付き合ってあげてもいいよ。」

 

 

 

と面と向かって言われて本当に衝撃を受けた。
初めてそんな事を言われたので一瞬頭が真っ白になってしまったくらいであったし、まだ社会にも出てない大学生に残酷な現実を突きつけられてしまった僕はショックでショックでしょうがなかった。

でも、言っていることについては間違っていないと思い、そこから僕はある結論に至ることになる。

 

お金をたくさん稼げば女にモテるやん!

 

この世の中、資本主義である以上、金を持っている人間は強い。
そしてお金が全てではないが、全てにおいてお金が必要である。
だからお金を稼ぐ必要があると思い、それがモテることに繋がると思ったのだ。

 

ビジネスを始めることへの恐怖と葛藤、そして挑戦

ビジネスの怖さを父の背中から学ぶ

失敗したらどうしよう、最初はそんな気持ちしかなかった。
まだアルバイトしかしたことない大学生がビジネスで上手くいくのだろうか、不安だらけだった。

なぜ不安だらけだったか、それは身近にビジネスで上手くいかなかった人がいたからだ。

僕の父は、成功を目指しビジネスをスタートさせたが、失敗した

成功を目指し数年間家にはあまり家には帰ってくることはあまりなかったし、今思えば家庭の懐事情はかなり厳しかったと思うが、親は僕を心配させたらいけないと多分隠していたんだと思う。

しかし、運よく、父は前の職場に

 

「戻ってこないか?」

 

と声をかけていただいたため、前の職場に運良く復帰することが出来た。
前の職場に戻ることができしばらく経って、母親から後に父親の精神状態が危ないところだったということを聞いた。

「やはり、そうだったか。」と僕は思った。

父がたまに家に帰ってくる時があったが、会うたびに、父が痩せぼそり、元気が無くなっている様子が小さい頃の僕でも薄々と感じていたからだ。

あんなに僕と笑顔で元気に遊んでくれた父の姿とはもう違った。

ビジネスで上手くいかないとお金にも困り、精神状態もやられるということを小さい時にもうすでに実感していたからビジネスを始めることに対して恐怖を感じていたのである。

大学2年の6月にビジネスの世界に踏み込む

そんな恐怖を感じながらも、現状を変えたいという気持ちの方がより高くなっていった。
金もない知識もない経験もないコネもない大学生である僕に何ができるのだろうかと必死に考えた。
何も知識がなかったため、インターネットで「初心者、ビジネス」と検索しGoogle先生に聞いたのである。

その時に出てきたのが、インターネットを使って稼ぐと言う記事がたくさん出てきた。
どうやら、どれもあまり初期投資が掛からないと書いてあった。
正直「胡散くせ〜、何これ。詐欺やんこんなの。」と思っていたのである。

TwitterなどでもよくこんなDMがきていたのである。
「〇〇したら稼げますよ!!
 初期投資はあまりかからず、簡単に稼げます!
あなたの生活をよりよくし、ストレスフリーな生活を歩みましょう!
ご興味があれば連絡してください。
→LINE@」みたいな。

そんなようなDMもあなたもきたことはあるのではないでしょうか?

僕がインターネットで調べたものはDMで来た内容と良く似ていたためもう怪しいしか思っていなかった。
でも、現状を変えたくて変えたくてしょうがなかった。

だから、「とにかくやってみよう!やれば何か変わるかもしれない!」

そんな気持ちの中、僕はビジネスをスタートさせた。

僕がその時に始めたのが転売であった。
当一番始めやすいのが転売であったため転売から取り掛かったものの、資金があまりなかったため、とりあえず安いものから仕入れてみた。

初めて仕入れたもの、「ハンドスピナー!!!」

↑(これが当時仕入れていたハンドスピナーである。)

当時かなり流行っていて、とても売れ行きが良かったため、とりあえず仕入れてみた。

しかし・・・・・。

初利益、十数円!!

おそらく業者がたくさん仕入れたものを安く売っていたためであろう。
それに負けてしまい、高い値段で売ることができず、しょうがなく赤字だけは回避しようと、価格設定して販売しました。
その後アフィリエイトだったり、いろいろなことをしましたが、なかなかうまく行かず、途方にくれてました。

しかし、ビジネスを始めて半年くらいだろうか、

 

 

 

ついに月収2万円という過去最高収益を叩き出した!!!!

 

 

 

この数字をみた人は間違いなくこう思うだろう。

 

「いや、バイトしてた方が全然稼げますやん!!」

 

間違いなくそうである。
なぜなら半年間頑張って結果が月収2万円であり、あまりにも費用対効果が悪いからだ。
その時は本当に挫折しかけた。

 

「あぁやっぱダメだったか」
「僕には才能はなかったのかな」
「こんなことしてるくらいだったらアルバイトしてた方が仲間もできるし楽しいだろうな」
「ビジネスやめようかな」

 

本当にあの時はネガティブの塊であった。

しかし、僕は成功したい成功したいと言う思いで、自分の持っているお金をビジネスに費やしていたため、大学の友達と飲み会や遊びといったことをほとんど削り、ビジネスに費やしていました。

そして自分はどうなったか・・・・・・。

 

ついに資金が底をつきました。

 

せっかくの楽しい楽しい大学生活から離れてビジネスに費やしてきたのにも関わらず、何も結果が得られていない。「本当にこれからどうしよう・・・。」と心から困っていた。
相当焦っていた。
本当に何も芽が出なかったから。
努力すれば報われるとよくいろんな人は言うが、そんな言葉は嘘だと思っていた。
当時の僕がそんな言葉を周りから言われたらこう言い返すと思う。

 

「嘘つけ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い!!!!!!」

 

そこからビジネスとは離れ、アルバイトをまた始めたが、アルバイトを始めてもビジネスのことを忘れることはなかった。
何かないか、何かないかと必死に探してていても現実はそう甘くない。何も見つからなかったのである。
もう挑戦しようという気力が正直なかった。

 

 

「俺って才能がなかったんだな。夢見る俺がバカだったわ、アホらし。」

 

 

とほとんど諦めていた。

 

千載一遇のチャンス、人生の転換となるビジネスの師匠との出会い

そんなある日、インターネットであるページを見ることになる。
ざっくり言うと、成功している人に会うことができるようだった。
僕はこれをチャンスだと思い、迷わずメッセージを送った。

すると、本当に会うことができた。

期待と不安を胸に握りしめて会いにいった。

僕は本当に必死だった。

「今の生活を変えたい」
「自分のことをバカにしてきた人たちを見返したい」

「女にモテたい」

そんな思いを抱いて、会うこととなった。

会って話を聞くと、
・なぜ僕が上手くいかなかったのか
・上手くいくための環境づくりや、モチベーションの維持
・どのようなスキルをみにつけていけば良いのか

といったことをたくさん教えてくれて、どのようなステップでビジネスを進めて行けばいいのかということをステップバイステップで丁寧に教えてくれた。

さらに聞くと、その方がどのように利益を得ているのか、またその周りがどのように利益を得ているのかということまで教えてもらった時はもう圧倒的稼ぎの数字にびっくりしてしまった。

僕もこの方と同じようになりたいという気持ちがどんどん膨れ上がったと同時に悔しさも込み上がってきた。
なぜなら僕と年齢が近いからだ。

すごく悔しかった。

でも、この方のやり方を真似すれば稼げるはずだと思った。
最短最速で稼ぐなら「正しい考え方」「正しい情報」「レベルの高い環境」を手に入れる必要がある。
自分がもしそれらを手に入れることができるのであれば、「時間」「労力」「お金」全てを投資してやると思っていた。

あとは、その方が自分のことをどう評価してくれるかということが問題であった。

だから、僕は
・自分がなぜお金を稼ぐ必要があるのか。
・どんなことを今までやってきたのか。
・今後どうしていきたいか

といったことをとにかく熱く語ることしかできなかった。
その方にとっては、他の人から同じようなことを「耳にたこができる」くらい聞いたと思われるので、迷惑だったかもしれないが、僕にとってこれは千載一遇のチャンスであり、このチャンスをなんとしてでも絶対に掴み取ってやるという思いしかなかった。

3週間が経過した時、その経営者の方から連絡があった。

ビジネスを教えてくれることになったのだ。

そう、僕の今までの努力がここにきて報われたのである!

そして、上京したら何か変わるかもしれないという思いを抱いていた僕は

ビジネスを始めて約1年半年後・・・・・。

ついに、ビジネスの師匠に出会ったのであった。

 

ビジネスで得ることができた、たった一つの大きな学び

僕はその経営者の方に自分がやってきたことを事細かく伝えた。
なぜ、ビジネスを始めたのかということも「モテるため」と言うのは恥ずかしかったが、正直にいった。
すると、こんな答えが返ってきたのである。

 

 

「ビジネスでは相手のニーズを探って引き出して、相手が欲しいと思う価値を提供するものだから、モテることと似ているよ」

 

 

と教えてくれた。

扉がぱーっ!と開いたように思えた。

なぜかと言うと、以前にブログを開設したいけど、具体的にどうすれば良いかわからないと言う人がいたため、代行サービス2万円で販売し提供したらとてもお客様が喜んでいたという経験があったからだ。
それは相手のニーズにちゃんと寄り添って商品・サービスを提供した結果、相手に喜んでもらい感謝されたのだと思っている。

もし、あなたが飲食店のホールのアルバイトをしていたとしましょう。
お客様は美味しいご飯を食べたいというニーズがあり、お店に来ています。
だから、あなたは相手の好きなものを聞いて、美味しいものをオススメの品として提供することによりお客様に美味しかったと評価されれば、また来ようかなということに繋がり、リピーターが増え売上が上がることになります。

これは先ほど、ブログの構築代行のサービスを例に挙げたのと一緒で、相手のニーズに寄り添って価値を提供することにより感謝される。

モテると言うことについては、素敵と思わせるためには相手がどのような男を素敵・魅力的と思い、相手の好きなもの、食べ物はなんなのかというニーズを汲み取り、それに合わせて自分の魅力であったり相手が望んでいるものを提供する。

 

「ビジネスとモテることって似てるじゃん!」

 

ビジネスを始めて何も得るものがなかったとネガティブの塊であった僕が、ここに来てようやく「学び」を得ることができたのだ!!

ビジネスを始めたことにより金銭的なものはあまり手に入ることができなかったものの、人間的な魅力を手に入れることができたのだ!

 

ついに道がひらけたその後の人生

モテるための内面を磨くようになる

ビジネスをして大切なことに気づいたから僕は内面を磨くように気持ちを切り替えた。

具体的には、
・女の子を苗字さんづけで呼ぶのではなくて名前で呼ぶこと
・挨拶をしっかりすること
・積極的に話しかけにいくこと
・外見に気を使うこと
などを意識した。

他にも意識したことはたくさんあるが、これらの根本的にあるものは「女性は積極的に男から来られたいものだということ」という考えに基づいている。

結果どうなったか・・・。

 

 

 

意識し始めてなんとわずか1ヶ月目後に女の子から遊びに行こう!と誘われたのである!!

 

 

 

もう感極まってしまった。

結果がで始めたのかと思った。

その女の子とは恋人関係にはなることがなかったものの大きな成果だった。
そして、その2ヶ月後の4月、春休みを経て久々にあった女友達に

 

「あれ??なんか変わった?雰囲気が大人っぽくなっててなんか堂々としてるように見える!」

 

と言われたのである。僕は今でもこの褒め言葉を一生忘れない。
なぜなら本当に心の底から嬉しいと思ったからである。
ここで自信がついたのか、今度は同じ授業をとっている知らない女の子に声をかけると言う新しい試みを行った。
正直めちゃめちゃ緊張したし、不安でしょうがなかったけど、「今の俺ならいける!」そう言う思いで、声をかけた。

 

結果、仲良くなれた!

 

しかも連絡先まで交換することができたのだ!
最高の結果である。

今まで、僕のことを異性関係についてバカにしてきた友達にすぐ報告した。
「俺、今日知らない女の子に声かけて連絡先交換したぜ。」

すると、友達はびっくりしていた。

「俺にはそんなことできない。」とまで言っていた。

ここまで成長することができたのである。

そんなある日、僕に好きな子ができたのである。
いつもは恥ずかしくて誘うことができなかったが、勇気を振り絞ってストレートにこう誘った。
「〇〇ともっと話したいから今度ご飯位でも行かない?」
こんなにストレートに誘ったことは今まで一度もないから、変に思われたらどうしようとすごく不安な気持ちでいっぱいだった。

結果は・・・。

OK!!をもらったのである!!

僕は女の子とまともに話すことすらできなかったのにここまで成長することができ本当に幸せだった。
しかし、その子とは結ばれることはなかったものの、落ち込んではいない。

それは自分が成長したと実感しているからだ。

今では、「名前で呼ぶことができなかった」ことや「挨拶することができなかったこと」が嘘みたいに思える。
なんでそんなことできなかったんだろうと思っている。

だから、昔の自分とは違って今とても大学生活を楽しんでいて、やっと大学生らしい大学生活を送ることができているのだと実感しているし、昔よりはモテるようになったと思う。

今、落としたいと思う女性

極上のSSS級の美女付き合いたいと思っていて、芸能人でいうと白石麻衣、通称まいやんである。


↑(まいやんがアナザースカイに出演していた時に録画したもの。
今でも大切に持っている。)


↑(一緒にご飯食べに行きたい・・・。笑
おいひい〜!なんて言われるとご馳走してしまうだろう。)

多くの人は、おそらく

 

「は?何いってるの?絶対無理じゃん。」

 

と思う人がほとんどかもしれないが、僕はいけると思っている。

まずは知り合うためには間違いなく金銭面で成功するだけでなく社会的名誉も手に入れる必要があり、さらに自分がより上のステージに行かなければならない。

バカみたいな話だと思われるかもしれないが本気でそう思っているからこそ辛いことがあっても目標に向かって頑張っていけるし、何より自分が成長すると「一歩近づいたぞ!」って思えるから、本当に楽しい。

僕が今立ち上げている事業

僕は今、インフルエンサーマーケティングの事業を立ち上げている。

今まで広告やWebマーケティングの事業をしていて、ビジネスの仕組みやどんな商品、商材が売られていて、どのように顧客のニーズをくみ取りマネタイズしていくのかということを学び、経験した。その経験から今後このマーケティング手法が流行っていくと思ったからである。
また、僕が広告やWebマーケティングの事業をしていた時にお世話になっていた経営者の方々から「これからはインフルエンサーを使ったマーケティングが流行る」ということを聞き、やはりチャンスだと思い、この事業を立ち上げた。

あとは可愛い女の子と知り合いたいというのも一つの理由で、男はやっぱり誰もが可愛い女の子と知り合いになりたいと思うし、友達になりたいと思う生き物である。
「ここから僕の華やかな人生を作り出すんだ!!」そんな気持ちで胸がいっぱいである。

可愛い女の子と知り合いになることによって楽しい合コンの設置もできるし、自慢にもなるし、可愛い女の子を経営者の方に紹介することでそこから仲良くなって仕事につながることだってある。
だから僕はこの事業を立ち上げたのである。

「金もない」
「知識もない」
「経験もない」
「コネもない」

19歳の時何もない状態でビジネスを始めた僕が、ようやくここまで来ることができたのは自分自身頑張ったのもあるが、色々と良くして頂いた先輩経営者の方々のおかげでもある。

たくさんの失敗や挫折をしたけれど、当時の自分では想像も出来ないくらい成長したし、今はそんな経験をしてよかったなと思っている。
よく「失敗は成功のもと」といわれるが、今ではその通りだよねと胸を張っていう事ができる。
本当にたくさんのことを経験したからこそ、こうやって周りに対して堂々と胸を張って言うことができる。

 

最後に僕が伝えたいこと

僕はまだ21年間しか生きていませんが、ほとんど負けに負け続けた人生でした。

「俺の人生はこのまま何も成功することなく終わるのかな。」
「本当につまらないクソみたいな人生だ。」

と思っていたこともあり、成功者が「夢を持て。」ということをテレビや雑誌などで言っているのを聞くと、
「それは〇〇だからできたんだよ。」と恨んでいたこともありました。

本当に心が折れかけた時もありましたが、諦めずに「恐怖」「不安」を振り払い、「勇気」を持って一歩踏み出し続けていたらなんとか首の皮が一枚繋がったりして次のステップへと進むことができました。

これを読んでいる方は今何か悩んでいることがあるかもしれません。

もしあるのであれば、絶対に諦めないでください。

そうすれば必ず応援する人が現れ、成果に繋がります。