フリーランス

借金500万。33歳が起業6ヶ月で月100万円稼ぐまで

今回LIFEで紹介するのは、借金500万円でフリーターというどん底から100万円を稼いだ話。
いじめ、マルチ、フリーター、ブラック企業、就職難民、何度も何度も失敗して苦しい思いをしてもそこから立ち上がり、
ついに最後の最後で成功をその手で掴む。
そしてこれからの彼の本当の夢とは?

目次

-はじめに-

こんにちはHideです。

「自分が嫌いだ」「自分は何も出来ない」と思っている人に「まだやれることがある、終わりじゃない!」と感じて欲しいので、自己紹介を書きました。会社員を辞めて、インターネットを使ったビジネスを2018年1月に始めました。今までフリーターからガマンして正社員になって仕事で頑張ってきたのに、誰かにバカにされたり、相手にされず評価されないのが本当に悔しかったんです。退職して、3ヶ月間稼ぎがゼロにだったときは「もうダメだ…」と思いました。

独立してやっていく決意を周りの人に語ったときのことです。

『独立か…リスク高いし、コツコツ会社員やっておいた方がいいよ』

『これからの時代、何があるか分からないし安定した職業がいいんじゃない?

『今から始めて、将来どうなるの?将来が分からない事はやめておきなよ』

アドバイスのつもりだと思いますが、そのときは自分を否定されたように感じました。だから「絶対稼いで見返してやるんだ!」と決意しました。「稼ぐことが周りの評価を変えさせる、一番近い道だ!」と思ったからです。

『稼ぐまで絶対にあきらめない』と誓って、今までダメ人間だった自分を変えるために行動してきました。しかし、フリーになって3ヶ月間、1日12時間仕事しても収入はゼロ。昼は吉野家の並盛りすら食べられず、スティックパン6個入りを1食に2本とかでした。今は値段を気にせず、食べたいものを注文できているのは、幸せと言うほかありません。

(よく世話になってたセブン6本100円のパン)

会社員のときは旅行する時間もお金もなくて、ほとんど近所でカメラで写真を撮るくらいしか出来ませんでした。

(お金が無いときはお台場にいって、観光気分と一緒に古いデジカメ使って撮ってました)

趣味のカメラは1万円のデジカメを3ヶ月我慢して買うのがやっとでした。周りはどんどん良いカメラを買い換えるのにボロい物をずっと使い続けててみじめな思いをしました。1万円のカメラは今でも大事に取ってあります。稼げるようになってからは一眼を買って楽しんでいます。

(神戸で1泊2,000円)

たまに旅行しても1泊2,000円などの安い宿しか泊まれず、貧乏でした。施設が壊れててエアコンない部屋とかよくありました。でも、今は1泊30,000円以上のホテルに泊まっても良いくらいに旅行の質が良くなりました。

(稼いでからは、新しいカメラで撮って旅する初夏の北海道がお気に入りです)

一時は借金を500万円以上抱え、死ぬかどうかも迷ったこともあります。現在は返済を続けて、半分終わってゴールが見えています。大学まで落ちこぼれ、フリーターから就活。派遣切り、雇い止め、過労で身体を壊して、仕事と向き合うのがイヤで仕方なくなりました。追い詰められて一度、身体が壊れてしまった後に本気で思ったんです。

『もう働きたくない。』

『誰からも怒られない仕事がいい。』

『好きなことを仕事にして楽しくやりたい。』

自分の事を変えようと思って努力しても、会社が合わなくて辞めてしまって「すぐ辞めるなんて、自分はダメなヤツだ…」と何百回思ったか分かりません。それだけ「自分の事が大嫌い」だったんです。昔から、自分は他人の話に『共感する』ことが絶望的に苦手でした。他人の立場に考える方法とか分からなくて、これが原因で、彼女と別れたり友人を無くし、仕事で大きな失敗をしたりして痛い思いを何度も経験しています。

大学受験の頃から、今やるべき事をやりたくない理由を見つけては怠けてました。大学卒業後、フリーターの時は1日中寝てて、気付いたら3日経ってるとかサボりグセが付いてしまいました。今の仕事に出会うまで、実際部屋は10年以上ゴミ屋敷状態。何をやっても中途半端で、投げ出しました。

27歳で社会人になってからは、これまでサボりがちな自分を変えようと、努力して正社員まで行きました。しかしブラック企業でさんざん、パワハラ、深夜残業など強制され、とうとう身体を壊しました。会社を辞めて誰からも必要とされない「人生のどん底」を味わってきましたが、今の仕事と出会ってから変化がありました。

自分と『徹底的に向き合って』、『過去の弱い自分を受け入れる』訓練を積みました。自分の弱い部分がハッキリと分かり、話し方や考え方を勉強することで弱点を補っていくことが出来ました。好きな事をして生きていくには、弱点も克服していかないといけなかったんです。

自分の周りには、弱みを必死に努力して強みに変えて稼ぐ人がいます。実は、話を聞くとほとんどの人が『最初は結果が出ずにサボったりしてつらかった』など自分と共通の経験をしていました。今まで稼いでいる人はスーパーマンのような人ばかりだと思っていたので、意外でした。話を途中から読みたい人は「借金と友人ゼロで終わった大学」から読んでもらえれば良いと思います。
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出生

貧しい家庭に育った子供時代
5歳の時に父親は会社を辞めて独立。貧しかったが、頑張って勉強して行きたい学校を受験させてもらうことになった-

1984年6月。

自分は東京都郊外、山が多くある田舎に生まれた。

当時、古い一軒家に両親、兄、自分の4人家族で住んでいた。よく食べる子供を養うには、両親が働くしかない。

お金が無かったので、ご飯はいつも1週間同じような物ばかり。増えるワカメや水で戻して使う乾物で、お腹を膨らませる。服はいつも古着で、何でも後回しにされた。兄の方が、何かと優先されていた家庭だった。買いたい物は欲しいおもちゃも、ゲームもほとんど買ってもらえなかった。子供の頃、やりたいことはまったく実現出来なくて、「なんで他の家はプレゼントとかたくさんもらうのに、ウチだけ貧乏なの?」と不満だった。

本当は父親に大好きだった科学の絵本とか読んで欲しかったし、宇宙飛行士になりたい夢とか、語り合いたかったけどついに叶わなかった。両親は共働きなので留守番ばかり。1人の時間が寂しかった。「扱いが雑だよな」と思ってふてくされて過ごした日が続いた。だが、家が貧乏でも1ヶ月に1度は休日に両親が外に連れていってくれて遊び相手になってくれたから、少しは寂しさが紛れたのを覚えている。

「屋上 ヒーローショー」の画像検索結果

両親の愛情を優先的に受けていた兄とはいつも、しょっちゅうケンカして殴り合った。自分だって大事にしてほしいし、必死にアピールしても誰も見てくれない。こんな寂しいことがあるだろうか。テレビのチャンネル権を取り合いになって、ケンカして骨折したこともある。いつも兄ばかり優遇されて、いつも後回しみたいな扱いをされているのが死ぬほど嫌いだった。どこにもぶつけられないイライラを、どうしていいのか分からなかった。不自由な思いをして、大切な物が奪われていく感触を毎日感じていた自分は「絶対に大きくなったら自分のために自由に、やりたいことをやるんだ」と強く思っていた。

家族とは逆に、親戚はいつも仲良くしてくれた。いつも遊んでくれる年の離れた兄貴分のいとこが大好きだった。勉強やスポーツが出来る人で、ひそかに「いとこみたいな人になれたらいいな」と尊敬していて、大学受験や進路の基準となった人でもある。

 

5歳になってすぐ、ある日、父親が会社を辞めたって聞いて驚いた。どうやら独立するらしい。父親は仕事ではいつも健康だったのに体調崩したり、やけに家に早く帰ったりするようになって慌ただしいと感じた。家族にとってはいきなりだったので、何の仕事をやるのかさえ分からなかった。

(後から聞いて、健康食品関連の仕事だと分かった)

今思えば、どうやって生活費稼いでいたんだろうってくらい不思議だ。普通、独立したら稼げなくて苦しい時期があるから、見えないところで死ぬほど営業していたと思う。子供だったので何も分からなかった。ただ成り行きに身を任せただけだったけど、父の会社員時代とほとんど変わらない生活を家族全員、送っていたのは覚えてる。

きっと家族を養い、学校に行かせるために貯金も、趣味も辞めて、我が身を削って働いていたのだろう。学校って言葉を聞いたのは6歳になるころ。兄が受験して受かった小学校の制服がなんかカッコよく見えた。「あの学校に行きたい!」とせがんで自分も受験させてもらうことになった。

 

いつも独りだった小学校

-お金持ちの子供しかいない進学校で、話も合わず1人孤独だった-

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幼稚園の最後の年。受験のために対策をしてなんとか小学校に合格。「頑張って勉強して、学校に入れば友達100人出来るぜ!」と根拠もない自信があっが、家が貧乏だったので何も買ってもらえず、プレイステーションなんて一生買えない家庭に育った自分には、ハブかれてクラスで話せる人が誰もいなかった。下校途中、友達はグループで仲良く帰るのに自分はいつも1人。家までの時間が、本当に辛い。お金がないことを小さい頃から憎んでさえいたので、意地でもしゃべらないと思っていた。時々、ガマンできなくて電車の中で泣いたこともある。

入学費用をわざわざ、両親が借金して通っている自分とは全然違う。周りは金持ちばかりなのだ。自分と全然違う環境の子は、何もしなくても欲しいものを手に入れるから好きになれなかったし、自分を曲げてまで付き合うつもりもなかった。勉強の方は、前日にやったことは全くやらず新しいことをどんどん薦めていく。復習なんてしなかった自分はすぐに追いつけなくなって、先生に授業中差されても「わかんない」と言ってやり過ごした。だから授業参観だけは死ぬほど嫌いなイベントだった。毎日、何も出来ずに追い詰められる感じで苦しかった。

「こんなところ、来なければよかった。」

「勉強したって何一つ出来っこなかった。」「どうせ自分なんて…」と口グセのように言っていた。

1年生終わりの段階でもう学校がイヤになった。とことん何も出来ないと「頑張ればなんとかなるかも」って思っていた心がボロボロに折れる。でも高い学費払ってまで行かせてくれた両親に申し訳なくて何も言えず、「学校、楽しいよ」と嘘をついて6年間過ごした。周りにも持ってないゲームソフトなど「持ってる」と言ってウソついて見栄を張ってたりしてた。ウソでしか自分を表現出来ない、ハッキリ言ってクズだった。

Close-up of Teenage Girl

今でもこんな子供の言うことを、聞いてくれた両親には今でも頭が上がらない。中学は地元の公立の中学校って決まっていたから受験に熱を入れる奴らに「お前らどこまで将来見えてるんだよ」って大人びた同級生を冷めた感じで見ていた。卒業して「ようやく解放される」と思っていたが、次の地獄が待っていた。

イジメから始まった中学校

-イジメに遭って人間不信

地元の公立中学校に入った自分は少し安心していた。幼稚園のときに一緒だった友達が何人かいたからだ。

「金持ちはいないし、自分と同じような環境の人が多いから辛い事はないだろう」と感じていた。

だが中学に入って2週間、事件は起きた。

英語の授業でアルファベットの発音で当てられた自分は、下手くそすぎる発音で周りからバカにされた。「舌っ足らずー!」「おまえどこの田舎モン?早く帰れよww」とか思い出したくない悪口を浴びせられた。

誰だって1度もやったことがないことでバカにされたらどんな気持ちだろうか。「L」とか「M」の発音とか苦手だし、正直キツかった。何も分からないのにバカにされる感覚は、すごい屈辱だった。授業が終わって放課後、自分は背後から数人のクラスメイトに腕をつかまれ、掃除用具箱に閉じ込められた。数人で扉を押さえられたものだから、1人の力では敵わない。

「うまく言えるまで出してやんねー!」

「謝ればここから出してやる」

訳も分からず、謝ることしか出来なかった自分は泣きわめきながら許しを求めた。誰かがこの事を先生に言ったらしく、あわててドアを押さえていた奴らは逃げていった。周りの人たちは泣きわめいた自分を避けるようにして道を空ける。ソロソロと人はいなくなり、教室に1人残って、また泣いた。

後から聞いたら、入学日に友達になった奴も混じっていたらしくショックを受けた。

 

「人は裏切るんだな。信じたって無駄だ。」「どうせ」「自分なんて」と毎日ボヤいた。誰も信じられなくなって共感することが出来ない。

話を聞いていても「すごいじゃんそれ!」とか言えても、心の中では何も感じない。すぐそこでケガしてる人がいても、平気で見過ごせる感じだ。

イジメられた自分の取った考えは、「感情は起こさない方がラク」だった。

こうして大学である出来事が起きるまで、6年間くらいは無感情だった。

素直に自分をさらけ出せなくなって、大人になってもコミュニケーションが苦手になってしまうことを、気付く事さえなかった。

 

運動会直前、ボコボコにされる

練習場所を巡ってケンカ。仲裁に入って殴られる。どうして俺だけやられるのか-

体育祭は学生時代の最大のイベントだと思う。学校内は熱気にあふれ、自分のクラスと他のクラスが場所取りでモメていた。

間に入ってすぐ、同級生で力が強かったA君に思いっきりぶん殴られた。頬のあたりに、すごい鈍い痛みがあって歩けず、肩を借りてよろよろろと保健室に駆け込んだ。

診察の後、保健室のベッドで寝かされて「痛てぇッ…」と声が出る。目の辺りがジンジンして、半分目が開かない。医者に行くと暴力がばれるから「医者へは行かないように」とA君担任の先生からは口止めされた。今思えば本当にクズな出来事だったと思う。

 

あとからA君の担任が謝罪に来たが「謝ってケガが治るなら、医者いらねーよ」ってひどく悪態をついた。ひどい言葉を言ってやり過ごすしかなかっ

刃向かったらまたボコボコに殴られる。事件後もせめていじめられないようにA君グループから仲間外れにならないようにウケ狙いをしたり、空気を読んだりご機嫌を取った。

自分がイヤと思うことばかりやってると「人生、こんなことばっかりでクソだな」と感じて正直疲れた。

 

 

イジメられないために勉強した

勉強を頑張れば、救われると思った-

 

イジメっ子と関わらないで済む方法はないか、考えた結果が「勉強をする事」だった。

ガリ勉なら悪いことをする人とそもそも接点がないし、向こうも気持ち悪がって寄ってこないのは分かっていた。

「気持ち悪い」を利用して人を避けるのも消極的にもほどがあるけど、マシと言える方法が他に無かった。

 

中学2年の春から、帰宅してから1日3時間だけど勉強した。ただ周りを見返したい、それだけだ。

学校の勉強はやりまくる内に、少しずつ分かってきて教科書以外の参考書も読んで問題を解いた。

友達は実際、ゼロになったけど、1年生の時は下から数えた方が早かった成績は

2年生の冬、試験終わった後でなんとか上位10位前後に食い込むようになっていた。8ヶ月頑張ったかいがあった。

(中学3年のときの成績表)

先生からも少しずつ「成績が良くなった」とか内申書に記載が増えて、少し自信が付いた気がした。

周りから「おい今回は何点だった?」とかそのくらいは会話が出来るようになった。中学3年の1学期は「マグレでも英語94点も取れたんだ」って自信すらあった。(もちろん高校、大学では通用しなかった)

オール100点取るような人にはかなわないけど、「そこそこ」な場所でも悪くないんじゃないかって考えようになっていた。この考えが、15年、20年経ってモロに跳ね返ってくることになる。

 

中学3年になって、夏休み前に進路相談をするタイミングでは推薦受験が可能なラインに並び、自分から受ける高校を選ぶことが出来るようになっていた。

塾に通って一般受験に備えながらも結果的に、推薦試験で大学の附属高校を受験して合格。

ほっとして家族に電話して、担任にもすぐに話した。このときは結構嬉しくて、誰かにすぐ伝えたかった。

 

 

サボってばかりの高校

長い受験生活で身体が付いて行けず、部活で大ケガ。リハビリするが再び大ケガ。

心が折れて退部した後、サボる・逃げる体質になって人生で一番辛い大学受験を迎えることになる-

関連画像

(通っていた高校の正門。隣に大学がある)

入学してから1週間後、クラスメイトに部活見学へ誘われて、バスケ部を見に体育館に行った。先輩のプレーが凄くて「あんな風に格好良くプレーしたい!」と思って即決。その頃NBAでスター選手がたくさん出てきて友達に録画したビデオを借りたりスポーツ雑誌を読んで熱中した。たまたま好きな選手が同じだった2年生のA先輩と一緒に、バスケ談義に夢中になったこともある。毎日、朝7時の練習が終わると授業では眠り、先生に叩き起こされたり、お昼前にお腹が空いてご飯を食べたりした。

週6回の活動で相当過酷だったけど。好きだから続けられたと思う。だが部活が楽しくなってきた5月の練習中、大けがをした。右脚太ももの筋肉が肉離れ。全治3ヶ月。期間からして、夏休みの合宿や試合には参加出来ない。

 

週2回、午前8時の診療を受けるために、家から1時間掛かる遠い病院へリハビリに通った。朝6時に松葉杖をつき、満員電車に揺られ授業には1時間、遅れて行く事が多くなった。「もういいや、面倒くさい」という気持ちにバスケットへの興味はとうとうゼロになってしまった。ケガは完治してもやる気が戻ってこない。年が明けてもやる気はゼロ。とうとう中学から5年間続けたバスケットを諦めた。やる気が出なくて諦めグセが付いたのはこの頃からだ。

泣きながら逃げた受験

何のためにやっているのか。周りと合わせるのがイヤで始めた大学受験。無理して限界になり、放り出して逃げた-

高校3年生になって、春から大学受験に向けて予備校に通った。

志望校は、尊敬してたいとこと同じ学校の明治大学法学部。今いるのは大学附属高なのに、外の大学受験を選んだのはただの格好付け。それだけ。先にバスケ部で仲良かったA先輩も内部の進学を選んでいた。始めは「みんなと一緒の大学」に憧れていたけど「受験は自分のためにやるもの」と考えたら内部進学ってなんだかつまらない物に思えてきた。学校での受験勉強は、内部の受験対策ばかりで受験する力を上げる勉強はあまり無かった。

時間がもったいなくて、授業中に赤本とか解いて内職したらバレて、職員室に呼び出されて怒られたこともある。日に日に、予備校で学ぶ内容も濃くなってきて、難しいと感じるようになった。小学校のような失敗は2度としたくない。だが、夏の模試もボロボロで、中学から苦手にしている英語が足を引っ張っていた。「このままじゃ1日6時間勉強してたくらいじゃ受からない」と予備校の判定を見て愕然としていた。でも、昔と違って今は目標があるから頑張れる。そう思っていた。

目標があっても、受験に受かるためだけのためにやる勉強を、1年近く、1日10時間とかやると思うと気がおかしくなりそうで、とうとう夏休み終わり頃、泣きながら授業のあった日の予備校から逃げ出した。サボった。

何も考えずに夜、飛び出したのでその日は家には帰らずブラブラと郊外に続く大通りを歩いていた。

後から聞いて「いつまでも帰ってこない…!!!」と、家族は大騒ぎだったそうだ。連絡はこっちがしたくなるまで。しないと決めていたからだ。その夜、中学校時代の友人の家に電話して駆け込んで、1晩グチを聞いてもらった。あのとき、グチを聞いてくれる友人がいなかったらもっとひねくれていたかもしれない。

夜通し友人と将来の不安とか、さんざん話した後眠明け方に少しだけ眠り、お昼前に家に戻った。

 

貧乏な家庭だけど今まで叩かれたことはなかったから、さすがに今回は無断で家を出たから父親から殴られたり、母親から叱られると思ったが一言だけ「心配した」と言ってくれた。

両親に心配を掛けるって心臓に悪い。「困らせたらいけないな」と泣くのをこらえてただ、反省した。

Fog Train Station Moody Black And White Al

受験までひたすら勉強した。ただやるしかなかった。効率は悪かったけど時間は人より何時間も多くやった。

時間が惜しくて、受験直前の年明けから14日間学校を休んで、予備校の自習室にこもって最後のスパートに賭けた。

家には事情を説明して、理解はもらっていたものの、学校から鬼のような電話が毎日入り、両親は初めは突っぱねてくれたものの、14日でとうとう参ってしまった。

ここまでやってくる学校は半分、脅してるのかとさえ思った。

 

15日目、自分は学校に顔を出して担任に現状を説明した。実はかなり問題だったらしい。14日間休むまでは、ほぼ皆勤だったので問題ないと思い込んでいた。

「200日以上のうちのたった14日だから…」と学校の授業は参加するだけ無駄だったし、自分の大学合否に関わるから学校は優先順位低めに見てたのが災いして担任にすごく怒られた。

「内申を下げられたくなかったら学校に来いよ?」

「毎日、生徒指導室に放課後、来なさい。」

噂では暴力を振るう、めちゃくちゃ怖い先生だったので従うしかない。1月半ばから、受験シーズンまではまた退屈な授業に出ざるを得なくなった。

 

 

不合格の知らせしか来ない

-家族のアドバイスを聞かず、10の大学に志願書を出した。不合格続きで。最後の最後までもつれた受験生活-

 

受験が始まって、合計10個の大学に応募した。ムダした分含めて40万円くらい掛かった。本当に今になって分かるけど、両親には申し訳ないことをした。

1個目から5個目の大学に落ちたとき、9個目までの受験を自分はサボったのである。サボった分16万円、ドブに捨てた。

自分から両親に「やります!大学受験させてください!」と言っておきながら、「不合格だったから受験しない」と人間として最低な事をやってしまった。受けるはずの受験が始まる頃、自分は自習室でぼーっとしていた。

1年近く頑張ってきたのに、結果がダメだっただけで逃げるなんてカッコ悪すぎて笑えない。結局、勉強に集中できないまま家に帰った。

 

兄からのひそかなエール

ケンカばかりしていた兄から、「夜間の大学がまだ受験出来る」とアドバイスをもらった。仲違いを越えて、兄に感謝した-

 

最後に受けた10個目の志望校は、受験直前まで応募できる2月末の試験だった。

一応、夜間の大学だけど明治大学の法学部。そんな情報を兄が見つけてきてくれたのだ。今まで殴り合ってケガしてた仲の兄弟から、まさか大学受験で助けてもらえるなんて思ってもいなかった。

家族からの応援で少し元気が出た。浪人できる状況じゃなかったから「あと1戦!」と言い聞かせて予備校に引きこもり最後の受験まで残り10日間、過去問と向き合った。

当日の試験はなんとか無事に終わってあとは合格発表を待つだけ。発表を見るまでの時間が、外に聞こえるんじゃないかってくらい心臓がバクバクしていた。

結果は「合格」。初めて自分でつかめた合格だ。嬉しくて入学までの1ヶ月の間、バイトして入学式に着ていくスーツも買って「大学生になれば自由だ!」と子供の頃から夢見てた自由がすぐそこにあると信じていた。

 

借金と友人ゼロで終わった大学

-大学の合間にアルバイトして小遣いを稼ぐ日々。稼ぐ気持ちよさが欲しくてMLMに手を出した。借金を負って友人も何もかも失った。

就活するが落ち続け、失敗ばかり。卒業後、フリーターになる選択をした-

「明治大学 リバティー」の画像検索結果

(御茶ノ水の明治大学、微妙に駅から遠い)

「あこがれの兄貴分と同じ大学で勉強して、いずれ法律の資格を取って働きたい」と思った大学。憧れた人と同じ大学ってだけで不思議なくらいやる気だった。子供の頃からガマンさせられていたものが一気に無くなった感覚があったからだ。

やりたいこと1つめはバイト。パソコンが好きだったので家電量販店。新人イジメはあったけど販売は人並み以上に売ったから何をやっても文句は言われなかった。

 

朝から夕方までバイトして、夜は勉強。疲れていてもバイトでお客さんや同僚と話すだけで元気になれた。ずっと話すのが苦手だったのに会話するのが楽しくなったのは、家電のバイトのおかげだ。

知ってる知識でお客さんに買ってもらえたり、困った同僚を助けることが出来たりして今まで体験したことのない楽しさ、やりがいを得ていたからだ。

ある夜、授業が終わって、大学の友達と一緒に食事したメンバーの中にすごいタイプな女の子がいてメール交換を申し込んだ。それから何回か遊んで告白してオッケーをもらうことが出来たのである。人生初の彼女が出来た。「もしかして今までで最高にラッキーな時期なんじゃないか!」大学1年の春は本当に浮かれていたのを覚えている。彼女とは週3回くらい会って、今までの学校の話をしたり、彼女の話を聞いた。お互いに話していくうちに彼女が、自分の気に入らない点がいくつか指摘した。

なんでも難癖つけてしまう性格の問題である。彼女からは「いちいち人のこと言うな」「共感してるって見えないし、まるでロボットみたい」と言われた。確かにむしゃくしゃすると、人の悪口を言ってストレス発散していたから、痛いところを突かれて反発したこともある。自分の欠点を認める心は、この頃まだ持てなかった。

 

小学校から周りになじめず「どうせ…」ばかりいって、

中学校でイジメに遭って「何も信じられない」と共感することが出来なくなって

高校で「めんどうくさい、サボりたい、逃げたい」と言っていた自分。消極的な性格のオンパレードだったのでうまくいかないと、全部他人のせいにしていた。

たまったストレスを他人にぶつけて「あの人はきっと自分を悪く思っている」、「あの人が自分のために○○してくれたらな」とか言っていた。

めっちゃ人の悪口言ってたなんて、指摘されるまでまったく知らなかった。自分はどうなのかなんて、考えることすら出来なかった。

自分は後から振り返って、悪いところを全部指摘してくれた人だったので、今、すごく感謝している。

 

話を聞いた彼女の状況はとても両親から愛されて、人の痛みに共感してあげられるとても優しい人だった。

そして子供が好きなので教職免許を取るために勉強していたらしい。その後の夢が叶ったかは分からない。

 

金儲けに走って全部失くした

軽い気持ちで金儲けに走った結果、信頼や人間関係を全て失った-

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勉強よりも、大学生のときは販売のバイトをしながら生活費を稼いで、今まで出来なかった「自分の欲しいものを買う」ことが楽しみだった。

自分の楽しみなんて人生で1度も出来なかったから、勢いでクレジットカードを作って使いまくったし、おしゃれな店も良い洋服着て通ったりもした。月15万円でも稼ぐと人間変わってしまうもので「目立ちたい!」「他人に良く見られたい!」ばかりで人の目しか気にしなくなっていた。

お金を使って遊ぶ自分に酔って、ギラギラした欲望があふれてきた。

「欲しいもの、どんどん出て来てお金が足りないな…」カードも限度額を毎月ギリギリ使ってて、支払いも滞る月もあった。実はヤバい傾向だってことは全く気付かず、買って、遊んで、浪費しまくった。

「バイト以外に稼げる方法ないかな」と思ってネットを調べて1年生の夏、高校の時に仲良くしてもらっていたA先輩に相談してみた。そこでMLM(マルチ)に行き着いた。話を聞いてみると、「人を紹介して自分が上になると報酬が入って…」など怪しさ満点。話をしてくれた先輩は当時月200万円稼いでた。稼いでいる人の言うことは、どんなことでも信じてしまう重みがあったように見えて「ウソだろ!?1歳違いなのに?俺も稼げるかな?」と興奮気味になっていた。まったく、1度も見たこともない仕事の話を聞いて、

「同じ事をやればもっとブランド品とか買えるかもしれない!すごい仕組みを見つけたぞ!」と信じ込んでいた。

 

今はGoogleがあるから分かるけど、当時はA先輩の言うことを完全に信じきっていた。影響力のあるトップの人の中にA先輩がいて、自分はその下で毎月指定された商品を購入し続けなければならない。自分から商品を買わせる人が増えれば報酬が出る。これが条件だった。

初期費用は20万円。毎月掛かる商品代金が2万円。大学生にとっては生活に関わる金額だったが、お金欲しさに担当者に言われたことを鵜呑みにして借金して払った。

高校のときの同級生もやってる人がいて、友人の紹介で興味ある人を誘ってみた。でも契約は取れなくて、結局カフェ代とか影響力のある人を呼ぶのに掛かったお金は全部自分で負担した。

1年生の秋くらいから「あいつはカネばかり欲しがって、怪しい商売に手を出してる」と大学内でウワサが広がって、周囲の評判が落ちた。友達もどんどんいなくなった。1番愚かだったのは友人、彼女にまで話を持って行って商品を買う契約して欲しいと迫った事だ。

結局、全ての知人を失い、彼女からは「お金ばかり言う人は、嫌い」と言われて別れた。彼女とは仲が良かったと思っただけに、別れたことは人生で1番へこんだ。

 

 

これを何十回と繰り返して1年半の月日が経ち、借金は50万円まで膨らんだ。利子の力は日々、金額大きくなるから恐ろしい。

毎月2万払っても、半分くらいは利子の増えた分で消えてしまった。「でも、払った金額は全部取り戻したい。続けていればいつかきっと取り戻せる!」とギャンブルに必ず勝てるような気持ちでお金を払い続けた。

MLMで稼げなくて、借金で首が回らなくなった1年半後にようやく「1度信頼を失うと、元には戻らない」と気が付いた。本当に高い勉強代だった。

ずっと引きずって、法律の資格を目指す気力すら無くなってダラダラと過ごした。自分は、就活の有利な情報を交換できる相手も失ったまま、誰も逃れられない就活に突入した。

 

100社落ちた就活

書類だけで約80社、面接で約20社落ちた。しかしここからが本番だった-

就職が学校生活のメインになると、同級生はリクルートスーツで大学に来る。

「この前の説明会どうだった?」「物流系は通りやすかったよ」「大手は超圧迫面接…」と周りがしている話を聞きまくった。

学生課に毎日通い詰めて、就職相談に通い、バイトでの販売経験を生かした仕事を中心に、面接や説明会を受けた。1週間に4社目標に、手書きで履歴書を書いて送る日々が続く。

暑い時期に黒いスーツ着て面接に行くのは汗かいて不快だったし、早く内定先を決めてやめたかった。

 

選考は書類で落とされることがほとんどで、開始段階で20社くらい書類送って2社しか面談通らなかった。

決まった目標のないまま、「とりあえず働ければなんとかなりそう」と何も根拠がない考えで、受け身だったから落とされたのだと思う。

面接官に「目標は?」と聞かれても

「これから…見つけたいです。」しか言えなくて「今後の活躍をお祈り申し上げます」メールがたくさん降ってきた。

合計100社くらい書類を送ったけど、結果は全部ダメ。「落ちても、次があるからいいや」と軽い気持ちでいたのがまずかった。大学受験と同じで「ここだ!」と決めなかったのが無駄な応募をしてしまった原因かもしれない。

周りは早く内定が出て、海外旅行やインターンで忙しいのに、自分だけ卒業まで全く内定も出ず、ひたすら書類を作って送る日々を過ごした。書類作る代金だけで毎月のバイト代が消えることもあった。

とにかく、自分が情けなかった。

 

 

就活断念、フリーターになる

-受験生活をあきらめて派遣社員、1年間で雇い止め-

3月になって卒業を迎える頃、内々定も出ないので「フリーターやって、放り投げていた勉強にもう一度手を付けて法律の資格を目指そう」と考えた。

実家にいたから生活費は掛からない。都内に通えば定期代だけで済む。

卒業した春から勉強を始めて、1年間が過ぎた。青春とか関係なく集中してやっていた受講生は、付き合いは悪かったけど成績は抜群に上がっていた。彼のように、1年間何もせずに勉強に没頭出来る人はその年の模試でも合格ライン。本試験では見事、合格した。

今思えば「没頭して、集中する」のがいかに大事だとガツンと気付かされる体験だった。予備校の1年が経ってから独学になって「余裕だ」と考えながら、参考書メインの勉強を始めてもう2年間、同じ資格を受験し続けた。そのうち1回は受験するのが怖くて、受験日当日、会場まで行ったけど逃げて帰ったこともある。

受験してもラインにも引っかからず「出直してこい」レベルの散々な結果だった。

 

「ヤバい…」

3度目の試験(うち1回は逃亡)に落ちたとき、背中がヒヤリとした。「26歳になっても何もスキルもないし、職業に就いたこともない」怖さが伝わってきた。両親に迷惑掛けっぱなしで、自分の立場も苦しかった。「来年は,来年は」と言いながら何も結果を出せないこのザマ。

「実家に生活費も入れられないんじゃ何のためにやってるか分からない。とにかく何でもいいから仕事してお金を稼いで、それから考えよう。」試験はやめて、生活のために働くしかなくなった。

 

派遣社員、1年で派遣切り

ようやく仕事に入れたと思いきや、たった1年で派遣切りに合う。小遣い稼ぎにしか思っていなかった自分の甘さを思い知らさせた-

「履歴書」の画像検索結果

大学時代、販売のバイトをしていた経験を買われて、家電量販店で派遣社員として働くことになった。

当時売れていたデジカメと、プリンターの販売員だった。旅行、季節の挨拶、年末年始と需要が多く、家電業界はこの頃毎年伸びていたので、売る人が足りなかったのだ。

ちょっと経験があったので、年下の上司にもイジメられたりすることは無かった。

時給1,500円で週2日だけ。月9万円くらいの中から、生活費用を出していた。半分は両親に支払うお金で、残りは好きな洋服を買うために使っていた。ほどほど小遣いがあれば幸せだと思い込んでた。

「そこそこ稼げて」苦しくなく、ラクに暮らせれば良いと思ってたからだ。1年間、同じ仕事を続けて成績が良いと褒めてもらえるようになった矢先。

派遣会社から1本の電話が入った。

「来月で今の仕事は完了になります」。一瞬、状況が飲み込めなかった。メーカー側の予算が尽きたり、目標を達成出来ない人は、派遣社員は契約を打ち切られる。

今回は予算が尽きたことで、派遣される場所が無くなったのだ。自信をもってやってきた仕事が一瞬でダメになった。頑張ってサボってた自分から卒業する決意だったのに。

27歳、初めてまともな就活

生活が掛かっている就活は以前と気持ちが違う。27歳になって恥ずかしいくらいに緊張した-

「就活」の画像検索結果

派遣会社の担当者に「どうにか同じ経験を生かせる場所はないですか」と必死に食い下がったが、ダメだった。新卒で就職した同級生から既に4年間も社会人経験が遅れている。だから自信のある分野で働くことがやりがいだった。

でも生活するためには稼ぐしかない。自分のこだわりや自信を全部捨てて、他の派遣会社を探すか。それとも試験とかやりたいことを全部あきらめて就職か。どちらにせよ、仕事する以外に選択肢はなかった。

 

27歳、職業なし。職務経歴書なんて書いたこともない。Excelやワードもあまり分からない。はっきり言って企業の求める人材としてはどこも手を上げない、不良物件だ。

でもとにかく面接に行くにはお金がいる。でもお金がない。1回、都内に面接に行くと往復2時間、2,000円かかる。貧乏人には重い金額だ。交通費を稼ぐために日雇いの引っ越し、工事、現場などバイトをした。そこで稼いだ僅かなお金でギリギリ、生活と就活を両立させた。

学生時代の借金と、カードの使いすぎで借金はすでに100万円以上に膨らんでいた。

死ぬ気で仕事を探しているので、面接対策本やSPI、自己啓発本をいくつも読んだ。だけど、この就活でまた100社落ちた。「年齢の割に経験がなさすぎ。育てるのがムリ。」という理由。

大学のときに「新卒」というブランドを利用しなかったのを激しく後悔した。自分はフリーター時代何をしていたのか。勉強もせずダラダラ寝て1日が過ぎて、遊んでいた。その間、就職した人は必死にスキルを磨いて仕事に慣れていった。大学卒業から3年間。あまりにも差が開いていた。

MLMをやってお金に目がくらんだこと、友人を無くしたこと。もっと反省していたら真面目にやっていたかもしれない。だが「たら、れば」は存在しない。実際、自分は行動もしないで幸運が向こうからやってくるのを待つ、怠け者だった。

大学4年間、卒業から3年間。ただ時間を「浪費」したことが厳しい現実で跳ね返ってきた。時間は戻ってこないと人生で初めて実感した。

 

契約社員に合格!だが…

半分コネで合格出来た契約社員。しかし求められる想像以上の結果。慣れない仕事に相次ぐミス。

周りから「ダメ社員」と言われた-

MLM(マルチ)で友人を失って借金を背負い、就活100連敗で卒業し、2年間のフリーター生活を送ってとうとう働く以外に選択肢が無くなった。

いくつ受けたか分からない企業の中で、バイト時代に経験した家電業界の求人があった。派遣社員の時代、知り合ったメーカー営業の人がいる企業だ。求人サイトから応募する前に、知り合いに電話をしてみた。

 

自分「もしもし、営業●●さんですか。ご無沙汰してます。」

営業「○○(自分)、久しぶりだな!」

自分「今回、求人に応募しようと思いまして…」

営業「知ってる。人事は俺の知ってる人だから。」

自分「電話したのはその事なんですが…ちょっとプッシュしてくれませんか」

営業「しょうがないな、でも本番は厳しいから対策しとけよ」

自分「ありがとうございます!」

 

これでもう、合格したら試験とか自分の夢を追うことは出来ない…

だがやるしかない。資格よりも、実際に働いて経験して、稼ぐ方が大事だった。

迷いはなくなって、心置きなくやり抜こうと決心した。

緊張して口ごもってしまったけど、試験は合格した。

 

27歳にして、契約社員として働くことに決まった。

「受かった!!!」と通知が来たときは本当に嬉しかった。全て体当たりで、どんな事を言われてもやる気持ちだったし両親も「ようやく…」とホッとしていた様子で、嬉しかった。

迷惑ばかりかけていた両親に、少しでも安心させる報告が出来て本当に嬉しい瞬間だった。

 

いきなり仕事のハードルが上がる

慣れない仕事にミスを連発-

 

朝6時に自宅を出て毎日1時間以上、満員電車に揺られる生活が始まった。

会社に到着するだけでやっと、クタクタ。職場に近い場所に住んでいる人は、通勤のストレスがないのでフルパワーで仕事をこなし、上司からの評価も良かった。

「入ったばかりなのに、いつも疲れた顔してるな!」と上司から言われて通勤で疲れていることに気が付く。毎日の満員電車と上司の目がストレスで今にもつぶれそうだった。

このままやっていけるのか…半年、1年先が不安になった。満員電車に乗ってる人たちはみんなガマンした顔で踏ん張っている。何事もないように乗っている人もいる。

自分は満員電車が本当に苦手で、朝早く出かけて途中の駅でトイレに行かないと体調が悪くなるくらい、嫌いだった。

 

当時会社から求められていた能力は、家電量販店でお店の人に商品を売ってもらうようになること。

合わせて自社メーカーの販売員に必要なトレーニングをすること。これは派遣社員のときにやっていたから、大丈夫だと踏んでいた。

 

他に、もっと大事な要件があった。

「各店トップと商談して、自社の販売に協力してもらうこと」

「売場を自分で提案して、装飾して作る」これは未経験だった。

 

「出来ない」なんて言えない。「無理です」と言った時点でクビになるからだ。

だから「やります」と言って、資料を終電まで作り込むしか無かった。

その中で商談だけはどうしてもダメだった。例えばイベント提案を持って行って店長とか偉い人の前に出ると、何も言えなくなって緊張しすぎて大惨事。

商談どころじゃない。手に尋常じゃない汗をかいて、何を言っているのか分からなくなるほど緊張して身体が震えるのだ。変なクセがついてしまって凄くイヤだった。

「失敗したらクビかもしれない…」いつも考えていた恐怖のせいで身体が極度に緊張すると、正常な気持ちではいられなかった。

 

商談でまさかの大失敗、そして降格

大事な商談で大失敗。救いようのなくなった自分に厳しい評価が下る-

男 男性 会社員 スーツ ビジネスマン ビジネス 人物 社員 悩む 失敗 迷う 抱える 頭 困る 過ち 疲労 悩み 会社 オフィス 派遣社員 管理職 考える 人 ブラック 絶望 落ち込む 苦悩 ミス パニック ストレス 不調 困惑 企業 間違い 不安 プレッシャー 恐怖 頭部 損害 リストラ 失望 嘆く 不注意 ブラック企業 失意 起業 エラー 戸惑う 失職 鬱 契約社員 損失 うつ 苦労 失業 恐れ 過失 鬱病 誤り 怖れ しくじり オフィスシーン 不始末 失態 ポカ 不手際 へま ヘマ ぽか 落ち度

勤務して1ヶ月とちょっとが経過した。とある場所で偉い人と商談したとき、大失敗した。

商談の資料と、紹介する製品そのものを事務所に忘れたのだ。周りからは相当、バカにされた。言うことを守って、人以上に仕事したし、遅くまで働いていたのに結果がすべてだと悟った。

いくらやっても結果が出せなかったら「いらない人」認定される。努力したってガマンしたって、報われず水の泡になることが本当にイヤだった。何のためにやっているのか分からなくなった。

 

普通に社会人やっている人なら常識で済むことが自分には全く出来ない。入社したときから一番バレたくないことだった。バレたくないから必死で直そうとしたけど時間が足りなくて、結局表に出てしまい「いらない人」になってしまった。

笑ってしまうくらい初歩的なことだけど、極度の緊張症の自分にはよくあることだった。失敗できない状況だと緊張しすぎて、大学受験のときは受験票を自宅に忘れてパニックになったこともある。人には絶対知られたくない自分の弱点だった。

 

上司に今までにないくらい、こっぴどく叱られて相当落ち込んだ。朝も夜も、不安につぶされそうになって何度、会社をサボろうと思ったか分からない。

上司からすれば、会社が一番力を入れている商品の紹介を、見事に自分の部下が失敗して何も出来なかったのだから。自分は悔しすぎて、深夜誰もいない会社で自分でも何を言っているのか分からないくらい、休憩室で泣きじゃくった。

だけどせっかく掴んだ仕事、大きな失敗1回くらいで辞めるわけにはいかない。失敗を引きずりながらも仕事をこなした。

 

失敗を挽回しようと朝は5時台に家を出て、7時30分に出勤して働き夜は22時過ぎまで資料を作った。

Officeソフトなんて1度も触れたこともなかったが、他の人の資料を読んでマネして作り方を学んだ。イベントの時は初電から終電まで働いて、1つでも成績になることは周りからバカにされても、3ヶ月間、必死にやった。

通勤は特に苦痛だった。6時初めでも特急が来る乗換駅では列の確保のために、みんなダッシュ。満員電車で席の取り合いや、ぶつかったりすると怒号が飛び交う。

帰りの電車では始発なのに割り込み乗車で警備員が来たり、ストレスしか感じなかった。時々お腹が痛くなって下車して、トイレで落ち着かないと会社に通えないくらい精神が追い込まれていった。

 

初勤務から4ヶ月が経ち、12月の始め上司から個別に呼びされた。個別に呼ばれるのは、怒るときか、何かあるときって本で読んでて嫌な予感がした。

 

上司

「○○(自分)君には、今の職位から外れてもらう」

「このままの能力では、今の仕事が満足に出来ないと我々で判断した結果だ」

「降格して販売員でやっていくか、辞めるかは週間以内に決めて報告するように。。」

 

目の前が真っ白になった。

危機感が前に出すぎて、血の気が引いて、心拍が早くなる。

目は開きっぱなしで、呼吸は荒く、喉が渇く。状況が理解出来ず、パニックになっていた。

 

大失敗の後も大きな失敗をいくつもやった。常識があれば、問題にならないことばかりだ。

上座・下座を間違えたり、ノックの回数を間違えた。物の受け渡しに必要な書類を取り交わし忘れた。

なにせ経費精算さえ満足に出来なかった。常識的なことが一切ダメ。

 

「何も知らないバカ」と言われるのも当然かもしれない。

「ここまで、何も知らない自分は何てバカで、アホなんだ…」

それ以外、何も思う事すら出来なかった。

 

社内の処理も出来ず、満足に取引先を案内も出来なければ、どんなに現場で100人、200人に製品研修をしたところで「使えない奴」には変わりが無かった。

周りの人は短時間で何でも作るし、提案書もいつも完璧。何やらせても失敗はない。契約社員でも正社員以上の能力を持った人はザラだった。それに比べて、自分は何も出来ない。

 

超えられない差を感じた。もう無理だと思った。やる気も無くだ与えられた仕事すればいいと思った。

1週間後、自分は辞めずに残る道を選んだ。4月、新しい期を向かえて自宅から30分くらいの事務所に異動になった。

 

「ダメな奴は辞めろ」

自分に与えられた仕事は雑用-

異動して、初めてした仕事は事務所の片付け。販売とか営業するためにこの会社を選んだのに掃除や雑用が主な仕事だった。当然、異動先の上司にも自分の悪い評判は詳細に伝わっていた。

朝から共用で使うパソコンの立ち上げが就業時間より遅かったり新しく入った同じ販売職の人のパソコン初期設定が出来てないと、

「何のためにいるんだ!」と喝を入れられた。

 

1ヶ月くらい、雑務だけさせられてようやく1つ担当を持つことが出来た。しかし、実績なんて全然出なかった。販売に立っても、平日なんて誰も来ないし、家電1つも売れやしない。

どうしたら良いか対策も出せずに時間が過ぎる。週明けの毎回の報告時に絶対言われることは1つ。

『成績も上がらんダメな奴は辞めろ!!』

毎週、こんな調子で言われ続けた。

情けないけど、しがみつくしかないから、聞こえないふりして仕事を続けてた。

 

意地で取った社内表彰

やめるつもりで、とことんやりまくった-

売れないなら、売れないなりに、「売るためにどうやったか」を社内全国へ発信してやろうと思った。

(恥ずかしい話、『よくこんな恥ずかしいアピールしてたな』と思う)

「何人に製品研修した…」「何人に試させて、その内何人が購入につながった…」

 

材料になるものは全部、お客さんの言った一言でも、ありったけ発信した。上司から、「頼むから恥ずかしい。もう止めてくれ」と言われるまで続けた。

「どうせやめるかもしれないから、やるだけやってやれ。」の思いで、1年間継続していたら、逆に課題提起ということで評価を受けた。

そして社会人になって初めて、表彰を受けた。正直信じられないくらい舞い上がっていた。自分でやったことが人から評価されるなんて、経験したことがなかった、

 

調子に乗ってやらかす

-表彰を受けたから、「今までの失敗は無かったことになる」と甘く見ていた自分。浮かれてまた、大きな失敗を犯す-

 

表彰を受けて、調子に乗って2つやらかした。

1つ目はハメを外して、取引先のルールを守らなかったため、取引先を出入禁止になったこと。

2つ目はご褒美だと思って車を買った。また借金を背負った。年収考えたら、買わない方が良いのに無理して買った。

(しかも250万円をローンで)

 

1つ目の失敗で担当の行く先が無くなった自分は、異動した当初と同じ、雑用係になった。

迷惑を掛けたのは、同い年の新しく入ってきた人で、せっかく慣れてきた担当の取引先をやむなく変更されて、

自分が出入り出来なくなった取引先を担当することになった。

 

このときは一生忘れられない。これ以上ないくらいの怒りを込めて、同い年の人から怒られた。

今まで経験したことのない怒られ方に、だいぶショックを受けた。働いてから怒られてばかりだ。

「自分は最低だ。クズだ。反省してもまた繰り返す。何も成長していない。反省したってタダのした振りじゃなかったのか。」

どうして進歩できない。失敗から1年半の間、馬鹿な自分を責め続けた。ショックを受けても、失敗を繰り返す自分にただ失望しかなかった。

原因は「言われたことをやっていればこのままうまくいく」と思って仕事を改善したり、反省したりしなかったからだ。うまくいっているときほど、足下固めないと大失敗すると

この経験で学んだ。

 

1年間グレて、契約終了

やる気ない社員に未来はない-

1年間、「どうせ自分なんて…」としか言わないネガティブな人間を誰も使おうとはしなかった。周りに何を言われても否定して自分の殻に閉じこもり続けた。

春に上司が異動になって、新しい上司が来た。今までにいなかった上司のタイプで、自分に

「誰でも失敗はある。だからやってごらん。」とスラムダンクの安西先生ばりの優しさで、グレてた自分をやる気にさせてくれた。

 

グレてた時期に1番の趣味になったカメラで「もしかしたら仕事に活かせるかもしれない」と考えてもう一回、頑張ろうと思った。

今まで売ったことのない一眼カメラを売るには、触ってもらうにはどうしたら良いかを1日中、ずっと考えては撮って、お客さんに見せて接客していた。

最初は失敗ばかり。1ヶ月間は売上がゼロ。毎週月曜日の朝礼で発表しつづけるのは地獄のようだった。トライしつづけて2ヶ月。徐々に成果が出てきた。知識だけではお客さんの方が知っている事も多いので、

「うちのカメラ買うなんて、本物の価値が分かるすごい人ですね!」とホメてホメまくる戦法が実を結んできたのだ。10万円もする一眼カメラを衝動買いしてくれるくらい、お客さんが来るようになった。

お店の常連さんに顔や名前も覚えてもらって、評価も少しずつ上がってきた。周りも「頑張ってるな!」と言ってくれるようになり、正社員を目指すために残された日数はあと1年。調子に乗らず前進しようと思った。

 

自分よりももっと短期間で、入って1年間で正社員になった人もいる。そもそも契約社員100人に1人も受からない確率だが、飛び抜けた人は別だった。

ここ直近で何人か採用されているので、周りも「○○(自分)君なら、声が掛かってもおかしくないよ」と言ってくれて、少しだけ期待していた。だが、契約満了の日が近付いても、延長の話は永遠に来なかった。

「期待して待っても、良い結果は絶対に来ない」と30歳になって社会の常識を1つ知った。厳しい現実はただ仕事するだけじゃ何も、解決できなかった。

 

転職で異業種、念願の正社員

前職の契約が終了する寸前に、勝ち取った正社員

契約社員の残り期間が3ヶ月を切ったところで、次の職業が決まらず、焦っていた。とにかく思いつく転職サイトを片っ端から見て、応募した。

大学、フリーター時代に落とされた200社よりは、書類選考で落ちることはないが面談で落とされ続けた。理由は1つだ。「年齢が30歳を超えているのに、能力が低い(販売しか出来ない)。」

自分から見たWord、Excelを使えるレベルは相当高く、とても短期間ではカバー出来そうにない。だから攻め方を変えてみた。前向きなキャラを前面に出すようにした。

「販売は凄く得意だけど、営業をさせてもらえる環境が欲しかった。」と言い方を変えたら企業の方から「会いたい」とメッセージが来るようになった。

 

ある制作会社の面接を受けて「風通しが良い、個人が尊重される職場」と説明を受けた。担当者が言っていることに納得した上で、前職の400万から年収は下がるけど「やります」と答えた。

そして「正社員」として採用されることになった。ここでの仕事は、ナレーターさんをスタジオに呼んで、ナレーションを録音する番組制作。ミュージシャンがスタジオにいて、プロデューサーがベンチで「はいオッケー!」と言っている状況をイメージしてもらえば近い。

形有るモノしか売ったことのない自分にとって、ちょっと面白そうだなと思ったのが、入るきっかけだった。

 

風通しなんてなかった。日本古来のブラック企業

「風通しがいい」と自分で言えてしまう会社こそ、実は落とし穴-

 

入社した後に自分がイメージした会社像と実際のギャップがあるのはどうしても避けられない。

現地研修もなく入社1ヶ月の自分に突然辞めた人の後任担当として、担当を持てと言う。前向きキャラでも、前提になるノウハウもなしに出来るわけがないので、また契約社員のときと同じ失敗をする恐怖が全身を襲った。

しかも、周りは助けてなんかくれやしない。

「甘えんな!」「成長のためには、現場主義が1番!」と上司は言った。どうして、自分より偉い人がお客さんに謝罪しないで、「何も分からない自分が謝罪に行くんだろう。」率直に質問した自分は怒られながら、1人で客先に向かった。

もちろん、客先ではこっぴどく叱られた。取引を終了して他社へ移るなんて事も言われた。どうすることも出来ず、上司に報告して怒られて、その日は終了した。理不尽すぎる。

 

入社4ヶ月が経過して社長から呼ばれて面談。訳も分からず怒られたあの営業先を見返してやると思っていた矢先、

「自分の配置転換を考えているから、準備してくれ。」どうやら辞めた人の部署に行かせたいらしい。どう考えても納得出来ない。本当に

今までやってきた研修や実務経験をムダにして、お客さんとの関係を壊すなんて許せなかったから断った。

当然周りは助けてもくれないのでハッキリ断らなかったら、もっと痛い目に遭っていたかもしれない。実はこの会社が「口コミサイトで30代の離職率40%超え」だと周りから聞いて知った。

 

 

入社7ヶ月で成績トップ、しかしパワハラ開始

成績を収めて、主張は以前よりもハッキリ言うようにした。しかし上司に目を付けられて、嫌がらせを受けることになる-

夏の中途入社だったので年明けて3月になるまでの間遊ぶのも我慢した。休日も客先のクレームの電話に出ては謝って必死で頑張った。

もちろん事情が分からなくて怒られても「大変、申し訳ございません!」とひたすら謝った。バカみたいだけど、そうするしか無かった。

営業の面では、1年の間で需要が高くなる時期があり、成績アップのための提案を仕込んでいた。半年先、1年先の注文を取るために仕掛けていかないと売上の見込みが立たない。

 

夏・冬のボーナス時期、新生活、年末年始はどこも買い物で忙しくなる。需要の高い時期に、顧客に向けて自分が準備した資料で「番組制作をしましょう」と提案しまくった。

初めはビビってたけど何件も注文をもらうことが出来た。その年度、入社7ヶ月でチーム内の営業成績はトップ。1本の番組はせいぜい10万円になれば高価な注文で、目標mの1,000万円売るまで必死に1日1件訪ねて売り込んだ。

前職の失敗があるので、たとえ成績トップでも決して調子には乗らなかった。「とにかく先の売上を作ろう」それだけ考えて行動した。何かやっていれば不安な気持ちにならないからだ。

 

ある日、上司から「他の社員が手が一杯なので、Bさんの仕事を代わって欲しい」と仕事を振られたので了承した。

実は落とし穴だった。特定の持ち物を持たないと現場にも入れないし、仕事すらさせてもらえない。事前に必要な情報を教えてもらえず、現場で久しぶりに赤っ恥をかいた。仕事を振ったBさんに聞いても「知らない…」と言うだけ。

納得出来なくて上司に

「これはおかしい」と言って上司は激怒。そしてパワハラが始まった。

「お前が現場で情報を取れないのが、悪い。」全部、担当である自分の責任と主張してきたのだ。自分が別の仕事で忙しいのに仕事を山積みして「君の成長のためだから」と言ってパンクした。

仕事はちゃんと終わらせる主義だったが、あまりにも多い仕事量に連絡が何週間も遅れ、保っていた成績も下がり始めた。深夜まで残業が続く日もあって体調も崩す回数が増えた。

上司が明らかに不向きな仕事ばかり振ってくるので、会社に行くことさえイヤになった。

 

「こんな会社、もうイヤだ。通いたくもない。自分がつぶれるくらいなら辞めた方がマシだ」

この会社から結局抜けたのは入社から1年余りのことだった。転職活動は半年以上かかって、ようやく次の会社を決める事が出来た。

脱出!だが待っていたのはさらなるブラック企業

前職より良い給料、未経験でも育ててくれる環境。全てにおいて納得した転職のはずだった-

契約する 契約書 捺印 押印 判子 印鑑 申込む 購入する 認印 事務処理 仕事 業務 重要書類 クーリングオフ トラブル ブラック企業 騙される 詐欺師 連帯保証人 クレジット カードローン 破産 延滞料金 承認印 サイン 返済義務 返済期間 返済金額 背景素材 イメージ

転職活動を始めて意中の企業が出てきた。条件は今の仕事よりも結構良くなる。未経験だけど、もともといた家電業界だから現場で慣れていけば、数年で実力も付く。

失敗は怖いので、慎重に何度も転職先に質問を続けながら数ヶ月交渉した。転職エージェントの担当者からは

「あなたは合格する可能性はある。離職率も低い。アットホームだから、あなたでも大丈夫。」

何回も連絡を取っていたので、言われることは信用していた。「悩みや仕事への思いとか話してきた人だから、言うことに間違いはないだろう。」と信じきっていた。

 

相手の企業と何度も面接をして、自分も、相手もどちらも好感触だと感じた。試用期間付きで合格通知をもらい、初めの出勤日を迎えた。

今度務めるのは家電メーカー。仕事の内容は営業。モノを売る仕事に戻った。大手なので安定してそうなイメージだ。全体の前で挨拶を済ませ、広い仕事場にびっくりした。ここまで自分のスペースがあるのは初めてだ。

今までなかった自分専用パソコンも支給された。ただそれだけで信用されているようで嬉しかった。そして同じ部署で教育役として付いた人から、最初の一言で衝撃を受けた。

「まず早く帰れると思うな。朝は7時出勤な。」目の前がクラクラした。またお腹が痛くなる満員電車と付き合うことになるのか。

 

初日は定時に終わったが、次の日から20時、21時、22時…と日に日に遅くなっていった。

毎日帰るのは早くて22時。標準で0時。起きるのは朝5時。自分の事を考えることさえ、許されない日々が続いた。

始めから無理なことをやろうとしているから、どんどんやつれていく。マイナス発言は一切ダメ。「建設的な批判」も命取りだ。

お腹が痛くても、風邪を引いても「自己責任」で管理できない人間と評価される。上司はあくまで神様みたいな存在で、逆らうことは絶対に許されない。

全て肯定しなければならない場所だった。自分に与えられた仕事は、短時間にこなして忙しい先輩達の仕事、事務を処理しなければならない。

仕事に時間が掛かると「クズ」扱い。いつも監視されている。まるで刑務所だ。

 

「自分から、毎日残ってでも、休日でも仕事の事を学び続けないと生き残れない。」と周りから言われていた。でも本当に自分からやりたくないことを続けるって正しいのか正直、疑問に思えた。

ガマンしつづけて努力しても評価されないっておかしいと思った。分からないなりに調べて行動しても周りは冷たい。

毎日学び続けても、結果出すまでには1日でも遅いと言われる環境の中。日々消耗する。入社当時のやる気は無くなり疲れ果てて「自分で何をやるべきなのか。」と考えるのさえ面倒になってきた。

深夜残業、早朝出勤の無理がたたって、とうとう身体を壊した。緊張が切れて、むしろラクになってしまって復帰する意思も出ず退職することになった。

 

 

就職難民となって、ビジネスに出会う

-身体を壊して退職。稼ぎゼロ。生きるためには働くしかない

(近所の公園でよく落ち込むと夕焼けを見た)

体調を壊して、職を失った。自分の努力が全部ダメになって毎日、落ち込んで泣いたりして不安定だった。

落ち込むとよく近所の公園で空を見上げてた。同じ風景はないから、毎日見てて飽きなかったし、少し不安が取れた。

でも、生活費は稼がないといけない。仕方ないのでまた転職エージェントを通じて積極的に、企業へ応募した。だが、短期間で辞めると厳しい。40社は断られて、途方に暮れていた。

まだ払いきっていないローン(借金含め)があと300万くらいあるし税金は毎月掛かる。あと1ヶ月もすれば滞納せざるを得ない。生活費も苦しい。

「貧すれば鈍する」ということわざを身を以て実感した。本当に貧乏になると、考えが明日のことしか考えられなくなる。不安だ。

 

何でもいいから仕事が欲しくて毎日SNSや転職サイト、フリーランスの事について4時間以上検索して、チェックしていた。ある日、今やっているビジネスにつながる投稿を見つけた。

どうやら、新たに起業したい人を応援するプログラムを募集しているようだ。よくチェックすると、既に知り合いがその投稿した人の中で、仕事しているらしい…ことに気が付いた。

ダメもとで、知り合いに連絡して「投稿した人に会わせてもらって、話だけでも聞かせてもらえないか。」と必死に頼んだ。ワラにもすがる思いだった。数日経って、投稿者の人と連絡を取って会うことになった。

今まで知らなかったビジネスの世界との出会い、第1歩である。今までネットで稼ぐとか、ヤフオクやメルカリで洋服売ったり、お小遣い稼ぎにポイントサイト登録する…くらいしか知らない。どんなに頑張っても毎月1,000円しか稼げないイメージだった。

 

 

超が付くほど、うさんくさい

「勤務時間」「労働年数」…企業社会に浸っていた自分にはとうてい想像出来ないビジネスに「怪しい」と思わざるを得なかった-

世の中、上手い話には落とし穴がある。税金の還付金…とか、必ず儲かる話とか。だます側にとってオイシイ話は、いくらでも存在する。

今回聞いた話は、あまりに怪しすぎる。どうする。過去、大学でMLM(マルチ)で大損を経験した自分は、「33歳にもなってこれ以上、失敗も重ねられない。」と思い込んで徹底的に怪しんで調べた。

調べれば調べるほど、実態のない事務所が出てきて住所も存在しない…ではなく、ちゃんと実体があって目的もある企業だった。実際に会って話を聞いて、インターネットを使ったビジネスについて自分が何も知らないのに気付いた。

知らない事は「怖い」「うさんくさい」。今まで自分のアタマで考えずに怖がる方がラクだ。誰かのせいにして、見ないように、考えないようにすれば安全なんだから。でも、自分は今まで知らなかったビジネスに好奇心を抑えられなかった。

 

「Web広告」や「ブログによるアフィリエイト」など、実際に一部の人がやって毎月100万以上稼いでいる。現にSNSでそういうインフルエンサーの人とか何十人もいる。

教えてもらって、自分で検索して初めてインターネットを使ったビジネスがあることを理解した。今までは「金儲けのためなら、何でもやる奴らだからそうなんだろうな…」くらいにしか思っていなかった。

分かる範囲で調べて、募集していた正しい内容は、「起業を目標として、自分から稼げる能力を鍛えたい人」だった。自分は募集している目的をようやく理解できた。

 

 

やるか、やらないか

ハローワークに通い、転職エージェントから応募しても仕事はない。身も心もボロボロの中、見つけた答え-

起業するまでに稼ぐ能力を身に付けるプログラムは、どうやらタダではないらしい。当時40万円くらいするビジネスへの参加費用に自分はまだ、すごく怪しいと思っていた。

調べたのにまだ、納得いく答えを見つけられなかったからだ。「お金を払ってでも学ぶビジネスなんておかしい。」何かウラがあるのではないかと疑っていた。またMLM(マルチ)みたいに、だまされるかもしれない。また借金を抱え込んでしまうかもしれない。もしかしたら、今度こそ失敗したら、破産しなきゃいけないかもしれない。だまされたくない。失敗したくない。

「これ以上何も失いたくない。」わがままな欲求だけど、もう失敗はたくさんだった。だけど、結果的に自分は借金して40万円払ってでも募集に応募する事を選んだ。なぜか。

 

ノドから手が出るほど、挑戦できる環境が欲しかったからだ。

 

既に参加している人の中で、2割以上は月数百万円以上稼いでいる。この事実が大きかった。しかも自分より年下の人ばかり。いや、年齢は関係ないと思う。

実際に、真っ当なやり方で稼いでいる人がそこにいる。やり方も考え方も聞いてOKだ。こんな特典が他にあるだろうか。今まで聞いた中ではありえなかった。

 

調べれば調べるほど「今すぐやるべきだ」と思った。あくまで目的は「個人に稼ぐ能力を身に付けさせる」ことだから。誰かが異常に儲かって、何もリターンがないビジネスじゃない。

MLMはあくまで、自分が影響力のある人物にどれだけくっついて、他人に「すごい人だぞ!」と見せつけるかで勝負は決まっていた。虎の威を借るビジネスと言ってもいい。だけどこのビジネスがMLM決定的に違うのはあくまでも「自分で稼ぐ力を身に付ける」ことだ。

やった気持ちになる、自己啓発ではなくて「実際に自分が手を動かさないと稼げない」ビジネスだ。

自分は一度、どっぷりMLMでハマったから分かる。自分1人の能力だけで稼ぐようになれば自分に影響力があるから、他の会員を作るために、強引に勧誘したり、契約させたりしなくて済む。だからMLMはすごい人の名前や地位を借りる。

このプログラムは「他の情報商材と呼ばれるものとは、全然違う、自分の成長につながるから試そう!」と決断した。自分が成長して、弱い自分から脱皮できるかもしれないと思ったら、行動が先になっていた。

 

「個人が稼ぐ能力を身に付けさせる」プログラムなんて、今まで耳にしたこともなかったから。

少なくとも大人数巻き込んで、人生狂わせる商売よりも比べものにならないくらい、予備校みたいで、目的がハッキリしている。それと、ここでやらなきゃ一生「弱い自分は変われない」と分かっていたからとにかく必死にやるしかないと決めた。

どうせ失敗しても誰も見ちゃいないし、気にしても仕方ない。今まで何度も失敗してきたんだから。

とにかく「死ぬつもりで努力して、今までバカにしてきた人達を絶対に見返してやろう!!」と心に誓っていたから、どんな課題、失敗だって怖くはない。ガキみたいな一心でビジネスの世界に飛び込むことになった。

 

 

成し遂げたい夢

「ガマンする」事に飼い慣らされすぎて、リハビリしないと思い出せなかった昔の自分の夢-

(すすきの。当日思い立って出掛けても飛行機が取れた。あまりにも居心地がいい北海道に住みたいとさえ思う)

会社員を辞めてフリーになって当初、まったくと言って良いくらい、何も思いつかなかった。ガマンすれば安全で、給料がもらえると思ってて自分で考えることなんてしてなかった。

何を考えても「やりたいことがわからない」。社会人で6年間、「ガマンする」ことが美徳と感じていた自分は、自分の夢なんて考えず「思考停止」していた。

なんとか考え抜いて、子供時代を思い出したら「将来こんな風に暮らしたい」なんて思っていた。書き出したのは一部。実現したのは1日の労働時間だけど、あと5年で目標達成したい。

 

(起業したい)

→旅行に行くと、空気はおいしいし、食べ物もロケーションも最高!しかも人生が豊かになったように感じる。

だけど観光地は中心以外、さびれている場所も多い。自分は人が減ってるところに、人を集める魅力あるサービスを作って人を集めたかった。

 

・月300万円欲しい。

→3年間で1億円貯めるのに必要な数字。

セミリタイアしてお金を運用して、働かずに暮らしたいから。

 

・マンションが欲しい。

都心からアクセスが良いところがいい。空港に近いと便利。

 

・定期的に写真撮りに行く費用が欲しい。

1回の旅行で10日間、滞在費用20万。毎月行くとして240万円。

写真を他人にもっと見せたいと思っていた。

 

・働く時間は1日6時間

インターネットを使った仕事なら時間は自由に使える。

満員電車で通勤しなくて良いし、台風や大雪の時も、外に出なくて良い。

余った時間は好きに過ごしたい。

 

 

個人は、弱い

企業に勤める個人は社会から信用される。一度失敗した人は世間から無視される-

 

努力すれば、すぐにでも稼げると思っていたのが甘すぎた。フリーとして働いて3カ月は失敗だらけの無収入生活。1日12時間働いても1円も稼げず、明日の生活も見えなかった。

今までの会社員生活は、厳しいと言ってもどこか甘えてる環境だった。肩書きがあったり、お客さんがいて、仕事を少ししなくても困らなかった。いつも休日になっても出かけず勉強することもなく、ダラダラと生活していた。

身体を壊し退職して1円もない。残ったのは300万円以上のローンや借金。税金は待ってくれないし、払えないと利子が付いていく。退職して1円も稼げない自分が、税金の相談をしたときが忘れられない。人間扱いされず「金払え」としか言われず、本当に辛かった。

だが、稼がなきゃ明日生きていけない。いや、死んでしまう。そんな状況に追い込まれて、ピンチだと気付いた。

「自分このままでいいのか?」「このまま終わって悔しくないのか?」って思っても、結果が出ないとサボり始める。同じ失敗の繰り返しだ。

 

受験勉強では予備校から逃げ出して泣きながら夜、友達の家に逃げ込んだ。法律の資格試験の勉強ではビビりすぎて本番当日、怖すぎて会場に行けなかった。

社会人になってから同じ失敗の繰り返しで何度も悔しい思いをした。電車で何度も体調を崩した。とうとう身体を壊して退職して、無職。だが誰よりも負けるのがイヤで、自分を縛り付けるものが大嫌いで「自由になるために頑張る」選択をしたはずだ。

「もう、何が何でもやらないと死んでしまう。」もうやるしかない。やらないと死ぬ。

自分にとっては明日の自分がご飯も食べられずに死ぬんだと思うと、恐怖以外に無かった。だから、辛くても乗り切るまでは絶対にやり切ろうと決めた。

 

 

死んででも稼ぐ。あきらめずに努力した3ヶ月

-追い込まれた人間は強い-

さんざん、無計画に努力して失敗してきてどうすればいいか分からず途方に暮れた。3ヶ月、収入ゼロ。でも逃げずに努力できたのは「お金を払ってでも環境を変えた」からだ。

「稼ぐ能力を身につける環境」で自分を追い込むと「努力して自分を変える」ゴールがハッキリ見えた。今まで会社員やってた頃は「早く環境に慣れる」ことだけど「自分が変わって成長する目標」を決めたのは初めてだった。色々勉強するのに40万円くらい使ったけど、ぶっちゃけリッチな国内旅行を3回だけガマンすれば人生を変えられるって思うと全然安い投資だと思った。旅行は行って終わりだけど、自分の挑戦する環境を覚悟決めて用意するのとは重さが全然違う。

むしろ「今やらない手はない!」と考えて今までで最高に挑戦する状況を手に入れた。会社にいても出来なかったから、自分のための挑戦って考えるだけでワクワクした。

 

具体的には、既に稼いでいる人の行動を見て「考え方や行動パターン」を学ぶことだ。稼ぐ人は絶対に時間をムダにしないし、何が何でもやり遂げる精神を持っている。自分が弱い部分を見せつけられて「弱点をなくす努力をするしかない。行動してどんどんやるしかない。」と学んだ。何やっても解決出来ないことは周りに聞きまくった。

初心者の自分にも分かりやすく教えてくれて「なるほど!」と分かったし、壁に当たって悩んだときは勇気づけてもらった。「昔は壁に当たって悩んだ時期もあった」と打ち明けてくれたり「だから頑張れ」と励ましてくれる環境が、心の支えだった。

何も分からない状態で、既に上手く行っている人のスタイルを真似すること。これは科学的にも有効だと言われている。スポーツでも、短距離走の走り方や、ゴルフのスイングもプロから真似するように、指導側のアドバイスもそこから出来ている。物事を全部後ろ向きの発言・行動をしていた自分が少しずつ変化していた。結果的に「何が何でも変わりたい!]と思うことを辛いと思わず、素直に「努力して結果を出そう」と思うように前向きになった。

今までさんざん味わってきた「敗北感」や「コンプレックス」が自分に負けそうになったとき。『このまま終わってたまるかよ!』とエネルギーになってくれた。自分が体験してきたマイナスの出来事も、周りの人たちと接しているうちにプラスに変える方向に考えが切り替わった。稼いでいる人たちはむしろリスクを積極的に取って、失敗しても大丈夫なようにケアしているからだ。失敗しても大丈夫って考え方は人生で一度も考えたことがなかった。明るく前向きで、尊敬できる考え方だ。

仕事を辞めて、自分はやりたい目標がハッキリ分かった。もう、上司にも怒られたくないし、朝6時に満員電車乗って体調崩すのもイヤだ。自由1つ無く、ガマンして自分の身体を壊すなんてバカらしい。ストレスが原因で不健康になるなら辞めて正解だ。

でも自分はまだ、死ぬ気でバカになりきって頑張りきれなかった。無意識に学校、会社でのルールや『常識』に縛られてて、まだ「自分のことを1番に考える」事に慣れていなかった。周りに合わせて同じでいることが正解だって教えられてたから。『辛くても我慢しろ』ってずっと言われてきた考えが努力の邪魔をする。ガマンすると、同じことでも何倍も楽しさが違う。たとえば通勤は、単なる移動なのに行きと帰りで気分が違う。金曜日の夜は一番楽しい気分なのに、月曜日は1週間ガマンするマイナス思考。

考え方1つで楽しくも辛くもなるって気付いて、ネガティブ思考を180度変えてみることにした。楽しく考えたら眠る以外は1日ずっと仕事していた。どんどん上達するのにむちゃくちゃハマって疲れないし、何より楽しかった。自分の事を1番にすると何でも楽しく感じる。この先、本当に自分の力で稼ぎたかったら『常識』で考えられることやってたらダメだ!と自分に言い聞かせた。毎日、毎日くり返して言い続けた。

4ヶ月を過ぎたころ必死の思いで夢中になることで、自分のことで生まれて初めて物事に『没頭して打ち込む』ことが出来た。感動するくらい衝撃的な体験だった。今まで1度も何かに打ち込めなかったサボり・ビビりの自分が、物事に継続して、夢中になれた。例えると、才能がないって思い込んでたスポーツがどんどん上手くなっていくような感覚に似ていた。

大げさだけど、人生「ここで稼げなかったら終わり」ってときに初めて自分が楽しいと思えることが、今のビジネスだった。ビジネスの勉強もだんだんと分かってきて自信が少しずつ出てきて、継続していくことが楽しくなってきた。4カ月過ぎて初めて稼げたときは泣くくらい嬉しかった。100円とかわずかな金額。生まれて初めて自分の力でで稼いだお金。ただ、嬉しかった。

仕事を始めて6ヶ月が経った。その月の稼ぎが会社員時代の給料を超えたときハッキリと自信をもって「フリーでやっていける」と 確信を得た。

 

「好き」と言えることが仕事になった

月100万稼いだ、その後

昔買えなかったカメラを買って、旅行を少し贅沢にしたくらい。あとは不安がないように普段どおりの生活を心がけている-

(久しぶりに購入した一眼で夕焼けを撮影)
6ヶ月経って仕事で稼いだお金を使ってご飯、旅行、ホテル費用を気にせず使えるようになった会社員時代、国内旅行を年3回行くには一番安いプランじゃないと無理だった。

激安プラン4泊5日30,000円とか多少の問題があっても文句は言えないプランでしか旅行が出来ないのが唯一、不満だった点だ。

(富山県1泊3,000円の宿。実は水道とか壊れている)

施設に問題がある激安プランは

・網戸が壊れて虫が入り放題

・ストーブを焚くとススが部屋に散って荷物真っ黒

・電子レンジに弁当セットすると外国人に喰われてる

・荷物からお金盗られる

まだまだあるけど「安物買いの銭失い」とはこのこと。日本国内でもボロい場所はとことんボロい。

 

6ヶ月、努力し続けて稼いだことで、会社員時代よりもストレスがグッと減った。

・1泊3万、4万する宿でも気にせず泊まれる

・旅行中、大体コンビニ飯で済ませたが、満足するまで好きなものを食べられる

・飛行機は広い座席を選べる

などケチケチしていた細かい事に気を遣わなくなった。

(五島牛を使った贅沢なハンバーグランチ)

時間は自由だし、以前より稼ぎも良くなった。仕事は自分から作って、やりたいことをやればいい。

旅しながら、ときどきパソコン開いて仕事することも出来る。満員電車でイライラして、上司のご機嫌を伺って深夜残業してた時から比べると、全然幸せだ。

 

理想の「通勤・残業から解放、人間関係でストレスのない生活」

稼げない間に努力した結果、手に入れたけど生活で変わったのは仕事上のストレスが無いくらい。「家が豪華になった!」とかそんなことはない。普段通りの生活だ。

稼げなくて挫折しそうになって、今の環境で仲間が励ましてくれたり、心の支えがあったからだ。自分へのコンプレックスがなかったら「自分を変えてやる!」と思わなかったし、今まで努力を続けることも出来なかった。もし、元々自分がいた環境を変えなかったら一生、不可能だった。もしかしたら今頃、借金抱え込んで破産してたかもしれない。お金の余裕って精神の余裕に直結するからムダ遣いなんてしようとさえ思わない。カード使いまくってた大学時代とは正反対だ。

ビジネスを始めた当時、冒頭にも書いた

『独立か…リスク高いし、コツコツ会社員やっておいた方がいいよ』

『これからの時代、何があるか分からないし安定した職業がいいんじゃない?

『今から始めて、将来どうなるの?将来が分からない事はやめておきなよ』

と言った人たちを努力して稼ぐことで、見返すことが出来た。本気で自分を変えるなら 他人の目は気にしたらダメだし、やらない理由を作る人はずっと、何もしない。本気で人生変えたかったら、お金払ってでも教えてもらいに行くくらい、あくまでも貪欲じゃなきゃダメだ。稼ぐためには、「こういう自分になりたい!」って強く思って、「自分の欲求を抑えずに素直に努力し続けないとダメだ!」と気が付かされた。

「失敗が怖い」とか言っている内は、1円も稼げない

自分がそうだったから断言できる。でも。稼ぐ人はみんな口を揃えて「リスク取れば、得るものも大きくなるよ。」と言う。
だから「リスクを取れない人は何も得ない。だから絶対に稼げない。」安全に稼ぐなんて有り得ない話。それは『絶対に稼げる話』に引っかかるのと同じだ。

稼ぐために、覚悟決めて努力した人の中で、稼ぐ能力を身につけた人が周りに何人もいる。

ただし稼げない期間、誰にでも辛い時期はある。でも自分の人生、自分で選んで やりたいことをやるって考えたら、むしろ辛いよりも楽しい気持ちが増すはずだ。夢中になって没頭できれば周りの目とか評価は気にならなくなる。自分は会社・組織に属していたから、会社に雇われて働くことは アリだと思っている。でもいつ会社が倒産したり、自分みたいにリストラに遭うかは 誰にも分からない。「いつ」が分からない事が最大のリスクだと思う。だったら、後ろ向きにならないで、どうやったら不安がなくなるか考えた方がずっと前向きだ。

自分からリスクを取って、「いざというときはリスクを回避できる」って選択をした方がよほど、いい。1つのものにしがみつくと、いざという時に昔の自分みたいに不器用な生き方をする可能性もある。安全な場所はどこにもないなら、自分が世の中の変化に合わせて稼ぐ能力を鍛えていけばいい。これからの時代に「個人で稼ぐ能力」は絶対に必要だ。だから会社も教科書も教えてくれないことを学ぶのは、自分の価値を何倍にも高くするのと同じだ。

仕事が進んで他の分野とつながった

会社員時代、自分の専門は他人が決めたものだった。向いてないときの方が多くて「どうして自分で選べないのか」不満で仕方なかった。頑張って結果出しても数年で担当を変更されたり、努力したことが全く生かせないで終わることが多すぎて、人生の時間を返して欲しいと思うことが多かった。退職後、自分で考えて勉強してやり始めたビジネスは最初は失敗だらけだったし、とても他人にビジネスやってるなんて言えないくらい恥ずかしい出来だった。何も出来ないまま終わるのが悔しくて半年間、努力し続けたら想像しなかった分野と仕事がつながる事が多くなったと感じる。

趣味の写真を見た人から、結婚式の写真を依頼されてお金もらったり、世界相手に写真が売るなど初めての経験をした。「写真って売れるんだ!」って驚きがあって新鮮だった。他に、自分と同じように「ビジネス始めたけど失敗して悩んでいる」人たちに教える立場になったり、実は失敗して努力したことで得たノウハウが他人の役に立っている。今では自分の仕事を外注して管理する側になって、何人も同時に仕事の内容をチェックして、具体的に指示している。やろうと思えば、コツさえ分かればいくらでも仕事に応用できるようになった。

退職する前は1つの狭い業界でしか人脈を作れなかった。タテのつながりしかなくて他業界とのヨコのつながりは無かった。でも今は想像もしなかったファッション関連の人とつながったり、音楽やっている人と話をしたり人脈がどんどんヨコつながりで広がっている。自分が旅行とかグルメとか投稿している内に、投稿を見てくれた人と仲良くなって仕事する機会ももらうようになった。学生時代、1人でモード業界にハマってただけにとても嬉しい。

 

たくさん失敗した事が自分の成長の財産

多くの機会を無くして、得てきたものがある。今まで生きてきて同じ失敗を繰り返し、激しく後悔したから「自分で稼げるようになりたい」と強く思うようになった。サボって努力しない時期もあったけどこれから先、もし何か起こっても自分は稼いでいく自信があるから大丈夫だ。フリーになることは安定とか捨てることだけど、失敗から得るものはとてつもなく大きい。

自分から仕事を作ってマイペースにやっていけることが最大のメリット。稼げる天井の金額はないし、同年代の会社員より倍以上、稼げる可能性もある。何より、会社員では失敗した経験が次の業界、会社では生かせないこともある。同じ経験をするとは限らないから。

だけど、フリーで得た失敗は全て自分の能力を高めたり、選択を間違えないための材料に出来る。物事すべてに通じる、本質的な部分の勉強になる。この知識は、会社員時代では100年かかっても得られない経験だった。少々何か起きてもちょっとした事では驚かない。

 

人生は楽しまないともったいなさすぎる

この先「数々の失敗が今の自分を作った」と失敗をネタにしつつ楽しく稼いで 仕事しながら旅行したい。自分1人だと失敗とか恥ずかしい経験だけど、何千人も見てくれる人がいたら、笑ってくれたら逆sにスッキリできるしこっちも笑える。自分1人の出来事で反応もらえると感謝すら感じる。1度きりしかない人生、失敗も楽しむくらいじゃないともったいない。

こんなに失敗を繰り返して自分を嫌いになっても、ひとつの事で自信を持てるようになれば、十分やっていける能力が身に付くことが分かった。マイナスな事は相当体験したけど、今思えば全部、逆境に負けないための訓練だった。怖い物がなくなることで挑戦することも全然怖くない。30過ぎてゼロからでも挑戦出来るビジネスは、インターネットを使って稼ぐことだ。まず場所を選ばないし、知識不足も調べれば殆どのことは分かる。誰でも、勉強して実行すれば、すぐに結果に辿り着ける時代になっている。あとはやってやりまくる集中力があればなんとかなる。

 

独立して変わった事、変わらない事

一番、自分で変わったと思うことは「時間に対する考え方」。時間は戻ってこないもので、使わないと成長も出来ない「1日1回限りの資源」だと気が付いた。

体力も気力も20歳と60歳だったらどちらが燃えて仕事をやりまくるだろう。若いってだけで宝くじ前後賞を与えられてるような恵まれた環境だと思う。

それなのに「自分なんて」と自己否定している時間は、本当にもったいない。

例えば1日3時間だけ、他の事に時間を使えば1年で約1,1100時間もある。ちょっとした達人になるには十分な時間だ。悩む時間があったら自分のために使えた時間があったはず。

もしかしたら下手だった英語が上手くなるかもしれない。やりたい事やって独立出来たかもしれない。

時間をムダに使うと、成長したりすごい人と知り合うチャンスを失う事になる。自分は面倒くさがりで今までチャンスをたくさん逃したと思うと、今よりもっと頑張ればよかった。ビジネスを始めるようになったら、どんどん知識を蓄えて、仕事の幅、自分の幅が広がる感覚が楽しくてやめられなくなる。でも1日は24時間しかない。優先順位をつけてやることをクリアしないと次に進めない。もしかしたら「自分には無理かもしれない」と思うかもしれない。でも一番大事な事はシンプルに「自分を信じ続けること。」これだけで十分だ。

何年間も努力しつづけられなくても、まず1ヶ月、2ヶ月やってみる価値はあるし、継続できれば大きな自信に出来る。ビジネスは正しい方法を知れば無駄な努力はしなくていい。やるべき方向に向かって、とにかく努力するだけだ。これからも自分は努力を続けて、新しく自分で出来る仕事の可能性を発掘していきたい。新しい可能性を見つける度に自分を好きになっていける気がする。

 

仕事をもらう側になって訪れた変化

マネジメント?なにそれ?

会社員のとき、指示もらって仕事するやり方に慣れてたから自分でやり方考えて行動するのは、好きだけど得意ではなかった。仕事を教えてもらってるうちに、IT企業から仕事を任されるようになった。最初は面倒に感じたこともあった。だけど何もやり方さえ分からず、最初の1ヶ月は30日間ほとんど起きてる間は仕事の事に夢中になってた。1ヶ月を過ぎて急に仕事の効率化できる仕組みに気がついて、実行したらどんどん仕事が効率良くなってどんどん、仕事が出来るようになった。

しんどかったけど、自分で考えた仕組みで仕事をマネジメントした

数ヶ月が経ち、どんどん仕事が増えてきて1人では対応しきれなくなって、今やっているネットを使って仕事を外注した。最初は2人とか3人で、多いときは10人を同時に相手にして指示を出したり、管理を行うようになった。会社員のとき「マネジメントなんてやったことのないやつに未来はない」とさんざん言われてきて、チャンスも与えられなかった男が独立して仕事を任された途端に、マネジメントをするようになった。今まで自分がマネジメントなんて考えた事もなかったけど。やっていく内に性別や年齢、能力に関係なく自分と同じ水準で仕事ができる仕組みを整えるところまで、人に教えられるようになっていた。

趣味を仕事に生かす、それはInstagram

仕事をやっていく内に、Instagramを通して出来ることも研究して分かってきた。
ネット広告とかめちゃくちゃ詳しい人が周りにいて、質問しまくって話を聞いた結果、自分は「これからはInstagramがもっと個人に流行る!」と思ったから、旅や趣味、おいしいモノを載っけてひたすら頑張ったら次第にフォロワーさんが集まった。
月に数百万とか稼ぐような、広告とかめちゃ強い人にはさすがに数字では勝てないから、自分で出来る旅行の主にや広告を掛け合わせて戦おうと思って、Instagramで投稿して頑張ってたら仕事もらうようになった。

だから今、ファッション系や美容系のインフルエンサーさんに直接アポしてる。
実は、いまやってるのは取材したり自分が広告紹介して商品売ってもらえないかビジネスを広げる活動をしているから。その先、友達になったりできたら製品とか販売してくれるようになるから、これから成長する分野で趣味を生かせたらいいなと思って、今会いに行ってる。なかなか結果には結びついてないけど、実現すれば毎月300万円くらいは売り上げる目標を立てている。

また、Instagramがみんなに広がってきて、個人の影響力とか発信力が将来的に芸能人レベルまで成長する人もこれからももっと増えていくし、今も実際に出てる。
自分がインフルエンサーさんと知り合いになって、自分が扱ってる広告や商品を売ってもらえるような仕組みを作ろうと活動している理由は。自分が間に立つことで色んなインフルエンサーさん同士が知り合いになって、お互いのフォロワーさんと協力して何かイベントしたり、オススメの商品とか紹介しあえれば、もっと大きな金額のビジネスになると思ってるからInstagramを頑張っている。

とにかく人を巻き込めば、趣味からビジネスにつながる

他にも、バンドや有名人のSNS活用のマネジメントを任されるような事業を目指していて、SNSの使い方をマネジメントするために、インスタとかTwitterを使って外注出したりしてどこの分野がハマるか毎日分析している。将来、自分が代理店になって、バンドや歌手をいずれはSNS限定でマネジメントできるように、インフルエンサーになれるバンドや個人のシンガーを発掘しようとしている。

YouTubeとか17Liveとかで全国的に知ってもらえる人が知り合いになれば、その人が紹介した製品とかが売れたりして宣伝や活動費用の助けになる。昔、何よりハマってた趣味の音楽を本気で掘り返してるのは、将来のミュージシャンを少しでも支援出来るようになりたいから。音楽関係だと自分はギターとか機材関係に強いから、売れ線とかも分かるし、組めばいい相手も分かるから、あとはコネクションを作れればいける!と思っている。

広告として見たときの、美容やエクササイズの可能性

男だけど、美容や健康には19のときから熱中して、オーガニック化粧品とかかなり購入して、研究した。今でも健康とか美容は盛り上がってて、例えば運動として乗馬ってこれからもっと伸びていく良い分野だと思うから、乗馬の広告とか紹介できるようになりたい。実際に馬に乗れればそれだけで体験に希少性があって、話題の的になれる。「格好いい!!」と思われたい人からしたら10万円ちょっとでめちゃくちゃ目立てるから、合わせてインフルエンサーさんにうまく紹介出来たらすごい流行る気がする。
実際、日本は競馬が流行ってても個人で馬に触れたことのある人はとても少ない(自分が聞いたところで100人に1人いるくらい)からもっと馬乗ったり触ったとか話題にしてくれる人を増やして、将来の馬ファンづくりを少しでも手伝えたらいいなーとか思ってる。

やりたいことが結局、趣味や好きなことの延長線上だったことが、自分でビジネスを始めて得た、もっとも大きい収穫だった。だから時間もお金も全力で投入して仕事を少しでも発展させるために、日々努力して、色々な人と会ってビジネスの輪を広げていくことを楽しみとしてます。

(最後に)

これを読んでくれた人が、少しでも「明日から自分に優しく、前向きに頑張ろう」と思ってくれて

少しでも良いと感じたらシェアしてくれると嬉しいです。