フリーランス

高卒工場勤務手取り14万の男が月収80万稼ぐまでの道のり

 

今回LIFEで紹介するのは、高校卒業後、

 

新卒で入社した工場で手取り14万円という薄給だった男が、月収80万円を稼げるようになるまでのお話です。

 

「死ねば楽になれるかな」と毎日人生を絶望していた時期もあった彼がどうやってそこまで稼ぐことができたのか?

 

ただただ平凡な人生を歩んできた

 

僕の父親は個人事業主として、運送業に務めており、

 

母親は専業主婦で家事に勤しんでいる、ありふれた家庭の3男として育ってきた。

 

幼稚園、小学校の時は特に目立った子供ではなく、ただ平凡な毎日を過ごしていた。

 

中学、高校に上がってもそれは変わらず、何となく決められたレールの上を進んでいた。

 

今までの学生生活では、兄の後を追うように同じ学校に進学し、

 

同じ部活動に入部したりと、自分で意思決定をしたことが一切なかったように思う。

 

僕はそのことに不満を覚えることもなかったし、兄の後を付いて行くことは当然とも思っていた。

 

僕の兄は高校を卒業後、大学へと進学をしたが、

 

Fランと言われる誰でも入れるような大学へと入学し、たったの1年で辞めてしまう。

 

僕も今まで通り、兄と同じ大学に進学しようと考えていたけど、

 

「兄貴が大学辞めたなら、どうせ自分も辞めるだろうから進学するのはやめとこう」

 

と、ここで生まれて初めて自分の意思で歩むべき道を決めた。

 

「適当な大学に行って、大学の費用で借金を抱えるくらいだったら、最初から働いて稼いだ方がいいじゃん」

 

そう考えた僕は、将来のことを特に考えることもなく”就職”という選択をした。

 

しかし、この判断が僕の人生を狂わせていく最初の選択だった。

 

アルバイトよりも稼げる正社員!夢は膨らむばかりだったが…

 

僕は高校生の時、1週間に3日ほど飲食店でアルバイトをしていた。

 

1日に勤務する時間は4時間ほどだったので、月に稼げる金額は4〜5万円くらい。

 

高校生にとって月に5万円も収入が入ってくれば、充分遊べるほどの金額だったため、僕はその給料に満足していたけど、

 

就職して働き始めれば、給料は4倍以上になることを知って胸を踊らせていた。

 

求人票を眺めては給料の良いところばかりを探し、夢は膨らむばかり。

 

そんな中、一際輝いて見えたのは

 

「月収25万円工場勤務」

 

という求人表。

 

他の求人よりも給料が高く、家からも自転車で30分くらいの距離だったので、一度職場見学に行くことにする。

 

その会社では車の部品を製造しており、これまで見たことのないような大きな機械で鉄を潰す作業をしていた。

 

工場長から僕は、鉄を車の部品へと製造するためには、

 

鉄を1000℃以上に熱して、真っ赤になった鉄を専用のプレス機で押しつぶすという簡単な説明を受ける。

 

正直そんな説明はどうでもよく、何よりもその迫力に僕は

 

「なんか楽しそう!」

 

というふざけた理由でその職場で働くことを決意する。

 

しかし、現実はそんな甘いものではなかった。

 

 

入社後、僕は工場長から毎日のように怒鳴られ、現場の仕事ということもあって、怪我は日常茶飯事。

 

そして給料はたったの14万円しか貰えなかった。

 

僕は入社して1ヶ月でもう辞めたいと思っていた。

 

つい最近まで高校生だった僕にとって、社会人として働くということは思っていたよりも過酷なものだった。

 

何よりも周りの友人たちが楽しい大学生活を送っているのに、自分は毎日遊ばないで働いていることが苦痛だった。

 

一度辞めたいと思ってしまうと、その気持ちが消えることはなく、気付けばいつ辞めると伝えようかと、毎日伝えるタイミングを見計らっていた。

 

そして入社してから3ヶ月が経った時に僕は『退職』を決意する。

「辞めると言えば怒られるんじゃないか」

 

そんな思いがよぎったけど、勇気を振り絞って昼休憩の時に部長に自分の思いを伝えた。

 

部長は睨みをきかせながら「あとでゆっくりと話そう」と言ってきた。

 

まずは伝えられたことに安堵したけど、昼休憩が終わった後には地獄のような時間が待っていた。

 

部長、課長、工場長との四者面談で詰められる

 

昼休憩が終わり、従業員が休憩所からいなくなると、いよいよ部長との話し合いが始まるかと思いきや、そこには課長と工場長も加わっていることに気づく。

 

そこから2時間にも渡る地獄のような四者面談の始まりだった。

 

部長達からは「辞めるな」と言われ続けたが、僕は絶対に意思を曲げないと決めていたので、ひたすら辞めますと答えた。

 

これから給料が上がるとか、大変なのは最初だけだと、

 

甘い言葉で何とか辞めさせないように説得してきたが、僕が意思を曲げないことに気づいたのか、

 

今まで優しい言葉をかけてくれていたのが一変し、急に口調は荒くなり、それは暴言へと変わった。

 

「そんなんじゃ今後やっていけない」

「お前なんかを他のところは雇ってくれないぞ」

 

しまいには

 

「お前なんか雇わなければよかった。騙されたよ」

 

とまで言われ、18歳の僕にとってその言葉はひどく胸を傷つけた。

 

泣きそうにもなったけど、必死に涙を堪え、ただ言われるのを耐えるだけの自分が情けなくもなる。

 

そして、2時間の話し合い(一方的)の末、1ヶ月後には退職することが決まった。

 

退職が決まってからの1ヶ月間はただ作業するだけロボットのように働いていたよ(笑)

 

会社を辞めた時の開放感は今でも忘れらない

 

自由を手に入れたはずの僕だけど、今度は思いも寄らない別の悩みを抱え始める。

 

フリーターという最高に気楽な生活にどっぷりハマってしまう

退職をすることしか頭になかった僕は次の仕事のことを全く考えていなかった。

 

とりあえず高校生の時に働いていたアルバイト先で、もう一度雇ってもらい、その間に就職先を探せばいいやーくらいに考えていた。

 

就職先が決まっても、またすぐに辞めてしまうのではないかという不安があったため、掛け持ちで様々なアルバイトを経験して自分に合った仕事をしようと考える。

 

所詮アルバイトだから、合わなければすぐに辞めてしまおうというクズみたいな考えだった僕は、飲食、営業、運送、事務など色んなアルバイトを始める。

 

つまらないと感じたらすぐに辞め、次の職場へと転々としていた僕は、気付けばどの仕事も続けられない人間へと変わり果てていた。

 

また、高校生の時に働いていたバイト先が心地よく、立場もそれなりに上の方だったこともあって、5年間という長い期間フリーターとして働き続けてしまう。

 

周りが就職をしていく中、自分は何しているんだろうという葛藤に駆られる

僕がフリーター生活で楽をしている間に、周りの友人達は大学を卒業し、一流企業に就職していく中、僕は何をしているんだろうという、焦りや不安が押し寄せてきた

 

同窓会では「役職についたから給料上がった」「今大手の○○会社で働いているんだ」

 

みんなが『社会人生活』の話題で盛り上がっている中、僕は話に入れないでいた。

 

まだフリーターの友人がいると、仲間じゃん!とそこから僕は盛り上がり始める。

 

しかし、その友人は目標のためにアルバイト生活を送っている。

 

仲間でもなんでもなく、ただ自分を正当化させるため、良いように思い込んでいるだけだった。

 

そのことに気づいた僕は、

 

「そろそろ就職活動に本腰を入れなければマズイ!」

 

と、手当たり次第に条件の良さそうな求人を探し始めた。

 

しかし、そんな簡単に仕事が見つかるわけもなく、3ヶ月間進展はなかった。

 

いつもの様にハローワークからの落ち込みながら帰っていると、たまたま道端で中学の時の友人と出会う。

 

久しぶりに会った友人はスーツ姿で、どこかイキイキしているような感じだった

 

友人は仕事終わりだったため、そのまま友人と居酒屋へと行く事になった。

 

飲みの席では、昔の話で盛り上がり、お酒もある程度入っていたため、僕は現在、就職活動で悩んでいることを友人に打ち明けた。

 

するとその友人は

 

「俺がやっている職場頑張れば頑張っただけ稼げるからお前もやらない?」

 

と、今の僕にとっては最高に嬉しい話が舞い込んできたのです。

 

僕はすぐにでも面接に行きたいと伝え、その日から1週間後に面接の日程を組んでもらった。

 

今思うとその友人も入社してから半年くらいだったのに、なぜそんな権力があるんだろうと疑問に思うべきだった。

 

そこから僕の2度目の失敗が待っている。

 

怒涛の3週間。超絶ブラック企業に入社するまで

 

友人と飲んでから1週間後。

 

僕は約束の日時に都内のオフィスへと足を運んだ。

 

オフィスの中は新しく、とてもきれいで僕もこれからここで働くのかと考えると胸が踊る。

その日は会社が何をやっているのかの説明と研修を受けるための日程調整をして、初日の面談は終わった。

 

初日の面談から次の日には研修が始まり、3週間の研修を終えた後、上の偉い人と面談をし、合格したら現場に配属されるという説明を受けた。

 

業務内容は『飛び込み営業』『コールセンター』『マネジメント』の3つだった。

 

どの業務を選ぶかは自分で選択することができ、おすすめは給料が上がりやすいから営業とのこと。

 

私はお金を稼ぎたかったので、もちろん営業を選択しました。

 

営業の詳しい業務内容はN〇Kの集金業務だった(笑)

 

当時は特に偏見もなく、稼げるならなんでもいいやーと思っていた。

 

研修内容はN〇Kについての話、営業のやり方や会社の企業理念など。

 

研修を一通り終えた僕は、実際に営業の時に使用するマニュアルを渡された。

 

面談では営業マニュアルを答えられることが必須とのことで、次の日に面談の予定を組んだから覚えてきてと言われる。

 

「A4用紙びっしりと書かれた紙を5枚も覚えられるわけねーだろ!」

 

そう思ったが、この時の僕はお金を稼ぐためにはやるしかない!

 

他のみんなも頑張っているんだから、と自分に言い聞かせ、その日は一睡もせずに覚えることに専念する。

 

迎えた面接当日。

 

面接官の人は、会社のかなり上の人らしくて、身体は大きく、ヤクザみたいな人だった。

顔が怖すぎて、いつも以上に緊張してしまった僕は、一夜漬けで覚えたことを半分くらい忘れてしまう(笑)

 

面接では半分しか答えることができなかったので、絶対落とされるなーと思っていた。

 

面接官から「マニュアルはいつ渡されたの?」と聞かれたので

 

「昨日です」と答えると、

 

「根性あんじゃん。合格。」と合格をもらうことができた(笑)

 

その時は「これから営業頑張ってたくさん稼ぎまくるぞー!」

 

と、かなり浮かれていたのを今でも覚えている。

 

しかし、僕の配属される勤務地は『北海道』だった。

 

東京からいきなり北海道はさすがに遠すぎると思い、他のところはないのかと尋ねると、

 

「北海道はまだ営業してないところが多いから、すぐに稼げるようになる。絶対行った方が良い」

 

と、押し切られてしまう。

 

そして、その日から3日後に僕は北海道へと旅立った。

 

北海道で待ち受けていたのはストレスの嵐

飛行機に2時間ほど乗って着いた初めての北海道。

 

札幌空港には北海道部署の人が待っていてくれて、寮まで案内してくれた。

 

寮はマンションの一室を借りていて、部屋は3LDKくらいだったと思う。

 

そこで僕を含めた9人くらいが一緒に暮らしていて、一部屋に二人で過ごしていた。

 

僕も部屋をもらえる予定だったけど、上司の手違いのせいで僕の部屋は用意されていなかった。

 

最初の1週間は廊下に布団カバーを敷いて寝ていた。

 

硬い廊下で寝ていたため、毎朝体がバキバキだったのを覚えている。

 

廊下で寝ることはまだ許容できたが、部屋に漂う異臭や散らかった部屋に毛だらけのお風呂場に耐えることができなかった。

 

潔癖症ではないけれど、最低限の掃除は必要だと思っていたから、寮に入室した当日に一人で掃除をしてからその日は就寝した。

 

今でこそ、この会社がおかしいと思えるけど、当時の僕はお金を稼ぐことに必死でそこまで頭が回らなかった。

 

次の日、入社してから初めての業務が始まる。

 

その会社での就業時間は昼の13時から22時までの休憩1時間を含めた8時間労働

 

初日は先輩の後ろを付いていき、営業の仕方やコツを学んでいく。

 

その先輩は仕事ができる人らしく、全国の営業ランキングで1位の実績を持っていた。

 

暴力は少しあったものの、先輩は営業能力が非常に高く、実績もあったから当時の僕は尊敬していた。

 

「この人の下で学べば私も稼げるようになる!」

 

そう強く思い込んでいた。

 

だけど、そんな簡単に稼げるようになる訳もなく、営業を始めてから2週間毎日、売り上げは『0』

 

また、N〇Kの営業を嫌っている人が多かったこともあり、営業先では包丁を突きつけられたり、家の中に3時間監禁されるなんてことも…。

僕の心は少しずつすり減っていった。

 

寮に帰っても、上司や従業員しかいないため、プライベートは一切ない

 

そして、8時間労働というのは全くのだった。

 

朝9時から12時まで3時間会議をし、会議が終わればすぐに現場へと向かい、13時から22時まで営業を行う。

 

22時に仕事を終え、寮に到着するのは0時前。

 

0時からはその日の「報連相」が2時間あった。

 

僕は入社したばかりの新人だったから、2時から営業の自己練習をしなければならない。

 

自己練習をした後は、お風呂に入ったりご飯を食べたりして寝るのは6時。

 

起床するのは2時間後の8時。

 

こんな生活が毎日続いた上、休みは1週間に半日しかなかった。

 

この生活が辛すぎて、辞めたいと毎日思っていたけど、優しい先輩たちの激励のおかげでどうにか続けることができていた。

 

毎日の練習の成果が出始めたのか、僕は少しずつ契約が取れるようになり、北海道部署で契約数が1位、2位を争うレベルまで到達することができた。

 

契約が取れるようになると仕事も楽しく感じるようになってくる。

 

拘束時間は長いが、僕は毎日が充実しているように感じていた。

 

そんな時、一本の電話が僕の元にかかってくる。

 

電話の相手は、僕が最後に東京で面談したヤクザみたいな面接官からだった。

 

滅多に電話のかかってこない相手からの電話だったから、

 

「最近、契約取れてるからお褒めの言葉かなー」と思うくらいには浮かれていた。

 

しかし、電話の内容は全く別のものだった。

 

「お前舐めた事言ってるらしいじゃねーか。」

 

なんと説教の電話だったのだ。

 

なぜこのような電話がかかってきたかというと、

 

僕の愚痴や不満などを親身になって聞いてくれていた先輩がそのヤクザみたいな面接官に全て報告していたのだ。

 

信頼していた先輩に裏切られたことで、人間不信になってしまい、一刻も早くこの場所から逃げ出したいという気持ちが湧き上がる。

 

わずか3週間という短い期間だったが、この出来事のせいで僕は会社を辞めることを決意する。

 

そこから僕の逃避行が始まる。

 

寮を脱走するかのように計画を立て、そして逃げ出す

ちょうど次の日曜日は半日の休暇だったので、僕は1週間後のその休みに合わせて、飛行機の予約をした。

 

説教を受けてから10分後には行動に移していたね(笑)

 

ひとまず帰りの飛行機は確保できたから、後は当日まで辞めることを周りに悟られない事に専念した。

 

いつも通り過ごし、絶対に笑顔を絶やさないように意識して毎日を過ごした。

 

そして、脱走当日。

 

休みの日には寮のみんなで飲みに行くのが恒例だったため、僕も当然呼ばれる。

 

僕は日頃の疲れが溜まっているから、後で現地に向かうことを伝え寝たふりをした。

 

部屋から人がいなくなるまでに、タクシーを寮から少し離れたところまで事前に呼んでおき、

 

無人になった瞬間に部屋の荷物を最低限まとめてトランクに入れた。

 

寮から出るときも油断はできない。

 

マンションの11階に住んでいたけど、エレベーターを使用せず、階段を忍び足で降りて行った。

 

この時僕は、

 

「もしかしたらバレるんじゃないか」

 

と、かなり緊張しており、心臓があり得ないほどバクバクと鳴っていた。

 

幸いに誰にも会うことはなく、タクシーに乗り込むことができ、空港に無事到着することができた。

 

空港に着いても、もしかしたら探しに来るかもしれないという、不安は消えず、離陸するその時まで安心することができなかった。

 

そして飛行機が離陸した瞬間に僕は会社の関係者全員を着信拒否にした。

 

東京に着くまで2時間くらいだけど、なぜか凄く長い間飛行機に乗っている感覚だったのを覚えている。

 

東京に着いても、まだ追いかけてくるんじゃないかという恐怖心があった。

 

そして僕は両親に何も告げずに実家へと向かった。

 

実家に到着し家族の顔を見た時、

 

「もう、大丈夫なんだ」

 

と安堵した途端、涙が溢れ出てきた。

 

自分を守ってくれる味方がここにはいる。本当に家族のありがたみが身に沁みた瞬間だった。

 

ニートになり、100万の貯金をパチンコで使い尽くす

会社を辞めてからは1ヶ月間くらい会社の人が僕の家を訪ねてきて、僕を連れ戻そうとしたけど、親が家には居ないと言い続けてくれたため、なんとか諦めてくれた。

 

会社との縁は完全に切れたが、僕の心が癒されることはなく、家に引きこもりがちになってしまった。

 

家にずっと居てもやることがないため、僕は働きもせず、近くのパチンコ屋へと足を運ぶ毎日を過ごす。

 

そんな生活をしていれば、当然貯金は底を尽きる。

 

100万円もあった貯金はたった3ヶ月でパチンコと生活費で失くなってしまった。

 

親に借金してまで生活をすることだけはしたくなかったため、僕は高校生の時のアルバイト先で働き始める。

 

そしてまた、甘えたフリーター生活へと戻ってしまうのだった。

 

フリーター生活再び!やりたい事が見つからず、悩む日々

再びフリーター生活を送ることになった僕は、前回の職場の事もあり、”就職”することに臆病になっていた。

 

「就職してもまたブラックな会社だったらどうしよう」

「長続きせず、すぐに辞めてしまうんじゃないか」

 

今の生活を続けるのは良くないと分かってはいても、就職活動をする気にはなれなかった。

 

「周りの友人たちは就職してから数年が経ち、順風満帆な生活を送っているのに、自分はいつまでフリーター生活を送っているんだろう」

 

そんなことを毎日考えながら過ごしていると、気分は常に落ち込み、

 

やがて、「死んだら楽になれるかな?」なんてことを考え始めたりする。

 

そんな気分が落ち込んでいる時に、アルバイト先の先輩の何気ない一言で私の考えは一変した。

 

「就職が嫌なら個人で働けばいいんじゃない?」

 

就職することが全てだと思っていた僕にとってその言葉はとても心に響くものがあった。

 

「個人で働けば就職する必要なんてないんだ!」

 

そう思った僕は次の日から個人で働くために動き始めた。

 

偏差値47の高校を卒業後、初めて資格の勉強をする

個人で働くとはいっても、3ヶ月以上会社で働いてこなかった僕はスキルなんてものは一切なかった。

 

個人での働き方を知らなければ、スキルも何もない。

 

そんな状況からどうやって個人で働くことができるのだろうか。

 

何も分からない僕は、『起業』や『個人で働く』「フリーランス」など、知っている単語をひたすら調べていった。

 

そしてたどり着いたのが『行政書士』。

 

行政書士とは法律関係の仕事で、開業しやすい仕事の一つとネットには書いてあった。

 

「この資格を取れば個人で働けるのか!」

 

そう思った僕はすぐに10万円の通信教育の教材を取り寄せ、勉強に取り掛かった。

 

後から気づいたのだけど、行政書士の合格率はたったの5%だ。

 

この合格率は一般的に難しい部類の資格だと思う。

 

しかし、その時の僕はやることが明確に決まったことの嬉しさでかなりポジティブになっていて、

 

「100人に5人も受かるならいけそうだな!」と、とても前向きになっていた。

 

だけど、今までまともに勉強をしたことはなかったし、法律関係なんて全く関わってこなかった科目だったため、かなり苦戦したし、正直つまらなかった。

 

資格勉強を始めてから3ヶ月、つまらなかった勉強も理解できる様になると、だんだん楽しくなっていった。

 

そして、10ヶ月という勉強期間を経て、本番の試験を迎える。

 

結果は無惨なものとなった。

 

個人で働くことを絶対に諦めない!新たな挑戦へ

行政書士の試験に合格するためにはテストの6割を取らなければならない。

 

だけど僕は、たったの3割しか取ることができず、結果は見事惨敗

 

元々、興味のなかった分野でもあったため、僕はここで行政書士の道を諦めた。

 

「諦めるのが早い」だとか、「もう少し頑張ればいいのに」

 

と周りからは反対されたが、僕の選択は間違っていないと思う。

 

なぜなら、そこで立ち止まらずに新しいことへの挑戦を始めたからだ。

 

新しいことへの挑戦と言っても、当時の僕は何をするのか全く決まっていなかった。

 

「とりあえずまた情報収集から始めよう」

 

そう思った僕は再び個人で働くための手段を調べ始めた。

 

一つ一つ入念に調べていると、なぜか惹かれてしまう魅力的な記事に出会う。

 

そこには、その記事を書いた人が実際に稼げるようになるまでの体験談が書かれていた。

 

ここではざっくりと説明するけど、その内容は

 

「極貧生活を送っていたけどブログを書き始めたら500万円稼げるようになった」

 

というものだった。

 

ネット上によくある胡散臭い話だと思いつつも、気づけばその記事を全部読みきっていた。

 

「ブログで500万円も本当に稼げるようになるのか?」

 

僕はブログというものにとても興味が湧いていた。

 

その記事を書いた人が自身のメールアドレスを公開していたこともあり、試しに実際に会って話を聞かせてくれないかとアプローチをしてみる。

 

思えば、この行動こそが僕の新しい挑戦の始まりだったのだ。

 

嘘か本当か?人生最大の決断!

アプローチをしてから数時間後、記事の著者(以後Mさんとする)から返信がきていた。

 

「ぜひお会いしましょう!お会いできる日楽しみにしています」

 

まさか本当に返信がくると思っていなかったので、

 

「もしかしてちゃんとした人なのかな?」

 

なんてことを思いつつ、話が聞ける日を楽しみにしていた。

 

Mさんとの待ち合わせ場所は都内のオフィスだった。

 

待ち合わせ場所についたものの、直前になって緊張してしまい、逃げ出したくなる。

 

しかし、ここで逃げ出せば、抜け出したかったフリーター生活に戻ってしまう。

 

勇気を振り絞り、僕はMさんへと連絡をした。

 

到着したことを伝えると、すぐに僕を迎えてくれたMさんはとても優しそうな方だった。

 

その優しそうな雰囲気に僕は内心ホッとし、今日は聞きたいことを全て聞き出そう!と意気込んだけど、知識のない僕は漠然とした質問しかできなかった。

 

「どうすれば個人で働けますか?」

「ブログで稼げるって本当ですか?」

「何もスキルない僕でもできますか?」

 

そんな不安をただぶつけたような質問に対し、Mさんは全て肯定してくれた。

 

他にも色んな質問をしたけど、ここでは割愛する。

 

僕の質問を真摯に答えてくれるMさんに、僕は本当に稼いでいる人なんだと肌で感じていた。

 

話に夢中になりすぎて、あっという間に1時間が経過しており、対談の時間は終わりを告げようとしていた。

 

「もっとこの人から話を聞きたい!」

「この人に教われば僕も変われるんじゃないか」

 

話した時間はたったの1時間だったけど、僕がMさんに惹かれるのには充分だった。

 

そして僕は最後に一つの質問をぶつける。

 

「そちらで学ぶことってできるのでしょうか?」

 

「一応コンサルもやっていますよ!」とMさん。

 

「ただ僕が起業した時に支払ったと同じように、50万円を支払ってもらいます」

 

50万!?

その時の僕はそんな大金なんて持っていなかったし、そんなにお金がかかるとも思っていなかった。

 

しかし、

 

仕事が続かなかった僕でも、それだけの代償を支払えば、せっかく払ったんだからと、続けることができるかもしれない。

 

このチャンスを逃したらもう次はないかもしれない。

 

何よりも今の自分を変えて個人で稼げるようになりたい!

 

そう思った僕は、その日のうちにクレジットカードを利用して50万円を支払っていた。

 

その日を境に僕は個人で稼ぐ力を身につけていく事になる。

 

生まれて初めて本気で仕事に取り組んだ

僕が個人で稼ぐために最初に教わったことは『ブログアフィリエイト』

 

「アフィリエイトって何それ?美味しいの?」

 

パソコンを持っていなければネットの知識なんて全くなかった僕にとってアフィリエイトは完全に未知の世界だった。

 

とりあえず教えてもらった通りに、新しく購入した安いPCで記事を書き始める。

 

4時間かけて初めて書き上げた記事はたった900文字の温泉おすすめ記事。

 

文章はめちゃくちゃだし、文字数も1000文字前後しか書けなかったけど、僕はアルバイトをしながら毎日必ず2記事を仕上げるようにした。

 

本当にブログで稼げるのかと半信半疑になりながらも、ブログを書き続けること5ヶ月。

 

僕は1円も稼ぐことができていなかった。

 

「今やっていることは本当に意味のあることなのか?」

 

僕は何度も挫折しかけそうになった。

 

ここで諦めたら今までの行動が無意味になってしまう。

 

どうすればブログで稼ぐことができるのか。

 

必死に試行錯誤し、Mさんに相談した結果、僕は『トレンドアフィリエイト』にたどり着く。

 

50万円を支払ってから半年後、僕は80万円という大金を手にした。

 

今までの努力が報われた瞬間だった。

 

個人で稼ぐことができると実感し、自分の選んだ道へと歩んでいく

まさか僕なんかが、いきなりこんな大金を稼ぐことができるなんて思ってもみなかった。

 

半信半疑だった『ブログで稼ぐ』ということは確信へと変わり、僕はそこから順調に収入を安定させていった。

 

そして今では僕の求めていた就職しないで、個人で働くことができている。

 

この生活を勝ち取ることができたのも、あの時Mさんに勇気を出してアプローチをしたからだ。

 

もう二度と仕事のせいで「死にたい」なんて思うことはないだろう。

 

なぜなら僕は今とても幸せだからだ

 

終わりに

最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。

 

当時の僕のように現状を変えたいと、あなたが思っているのなら何かしらのアクションを起こすべきです。

 

何もしなければ何も変わらない。

 

チャンスはいつ、どこに転がっているのかはわかりません。

 

失敗したとしても全てが終わるわけでもありません。

 

何度でもやり直すことはできます。

 

諦めず、足を止めないことが成功への近道です。

 

僕の体験談があなたの一歩を踏み出すきっかけに少しでもなれたら嬉しいです。